安和

安和(あわ/あー)

安和区の現況

世帯220 人口867 面積6.13k㎡

安和は方言でアーと呼ばれる。名護市では最も西に位置し、本部町に接する。南は名護湾に面し、北には安和岳・嘉津宇岳・八重岳など古期石灰岩からなる山々が連なる。その山々に源を発し、安和与那川が集落の西を流れ名護湾に注ぐ。東には安和前川が流れ、それを境に山入端と接する。集落はその二つの川に挟まれた低地に、碁盤目状に発達している。集落の西、真謝原には琉球セメント工場があり、その西を流れる川を渡ると墓地である。そこから西には砕石工場が多い。西のはずれには部間という小集落があり、そこに部間権現がある。海岸線の道がない頃は、門川原と山筋原の谷間を登って本部に行った。そこは門川坂(ジョーガビラ)と呼ばれた。

集落の中を東西に国道449号線が通り、セメントエ場や砕石工場の大型ダンプカーの往来が激しい。セメントエ場前の海岸は埋立てられ、そこに琉球石油の貯蔵タンクが立ち並ぶ。安和・山入端・勝山を校区とする安和小学校は集落の東寄りにある。

人口897 世帯数225

クバヌウタキから南側一帯は沖縄貝塚時代後期からグスク時代の遺跡(安和貝塚)。北東のウイザモー(上座毛)は安和の古島と伝える。西端の部間権現からは中国製の青磁が出土する。「おもろさうし」にも「あわ」とみえ、近世史料では「あわ村」「安和村」と記される。廃藩置県後、山間のマヤーガー(猫川)や西の部間に屋取集落が形成され、前者は昭和17年に行政区勝山の一部となる。部間は戦後昭和24~33年の間行政区が設けられる。西方の長山原に昭和39年セメントエ場が設立され、一帯の古期石灰岩の山はセメント、砕石の原料採石で琴姿を変えた。

出典:「名護市の小字

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