仲尾殿内

仲尾殿内 (なかおどぅんち)(建造物 未指定)

羽地間切には、琉球王政時代から明治にかけて源河ウェーキや我部祖河殿内など、豪農の格式高い民家が相当あったようだ。仲尾次の仲尾殿内もそのひとつである。

現在の仲尾殿内は、明治34年に建造された。仲尾次では、「下の家」(下殿内)松田家に対し、この仲尾殿内を上殿内と呼んでいた。当時は現在の母屋のほか、前の屋に6,7人も使用人が生活していたという。屋敷は、サンゴ石灰岩を削った石垣と高いフクギで囲われ、台所、高倉、それに家造アーチ式のフールなど、屋敷いっぱい建物が並んでいたそうである。

こうした屋敷構えは、当時の典型的なウェーキ農家の様子を示している。建物の大きさは、中が36坪、アマハジを入れると50坪に達する。建築年代は、県指定文化財の屋部の久護家とほぼ同じだが、縁側の幅が実に一間あり、米どころ羽地の地域的な特色をよく表している。また、幅半間、高さ一間のセンダンの中戸も当時をしのばせている。

ところが、仲尾殿内に人が住まなくなってから約7年たち、その間に保存の動きがあったものの、現在建物の老朽がかなり進み、修復・保存は困難な状況にある。

出典:「名護市の文化財第2集」