済井出

済井出(すむいで/すむでぃ)

済井出区の現況

人口585 世帯163 面積2.52k㎡

済井出は、方言でスムディと呼ばれる。済井出は、屋我地島の北側に位置し東シナ海に面している。集落は海岸に沿った浜堤上に発達し、見事な碁盤目状の形態をなしている。屋我地島を一周する県道110号線が集落の中央を通り、集落の北のウフドーバル(大堂原)には国立療養所沖縄愛楽園がある。

屋我地島は水の乏しいところであるが、済井出のある島の北東部は澄んだ水が各所から湧き出てくることから、村名の語意もそのことに由来するという。また一説では、屋我の元の村跡はヤガグシク(屋我城)の麓で、そこはもと港で港原と呼ばれた。済井出はその北に位置し、そことの対応で済井出の語義はシムティ(下港)であるとも言われる(沖縄地名考)。済井出は屋我からの分かれと伝えられ、ヤガ・スムディと併称される。

済井出川沿いに、コバテイシや桜やデイゴがあり、馬場の面影をのこしている。琉歌に「済井出ちゅら島や 島うちゃきちゅらさ 大石くさて 馬場前なち」と歌われる。北東の岩礁群はベニアジサシの繁殖地で、ここを含む屋我地島の東海岸域は特別鳥獣保護区の指定を受けている。主な施設に、羽地農協済井出支所・国立療養所沖縄愛楽園・付属准看護学校・民宿屋我地荘などがある。

人口 1212 世帯数 669

済井出 573人/144 愛楽園 639人/524

集落の北西海岸に2000~3000年前からグスク時代にかけての遺跡が集中して分布する。スムディとは澄んだ水の意味で「各所から真水が容易に得られる土地」であったことによるという。屋我からの分かれといい、屋我グスクの一部に拝所がある。乾隆元年(1736)桃原村が済井出に移ったともされる。昭和13年、北の大堂原に国頭愛楽園(現在の沖縄愛楽園)が設立される。昭和50年を前後してP.P事業、県営圃場整備事業など大規模な農業基盤整備が進められる。

出典:「名護市の小字

済井出のわがまち・むらのアルバム

済井出の集落・環境屋号図

済井出の小字 区界図と小字一覧

済井出のあゆみ、小年表

済井出の人口と産業

済井出の自治と活動(現在行われる年中行事も含む)

済井出の伝統文化

井出の文化遺産