嘉陽の文化遺産

嘉陽の文化遺産

嘉陽には指定文化財はないが、まず民俗芸能では、旧七月の豊年踊りの際に演じられる「南ヌ島」は嘉陽独特の踊りであり、注目されている(名護市の文化財第二集)。

集落の北東はずれ、ノロ家の側にあるガジマルは、樹高12m・推定樹齢120年の堂々たる老樹である(名護市の名木)。

嘉陽には、昭和39年(1964)の東京オリンピックの際、聖火が宿泊した。それを記念して聖火が到着した日に「聖火宿泊碑」が除幕された。また翌年には、聖火宿泊をめぐる人々の感激を綴った、宮城敏男氏の詩を刻んだ「聖火のあとさきの詩碑」が建立された(岸本喜順:名護碑文記所収)。 上城の拝所には、戦時下昭和15年の「紀元二千六百年祭」を記念して建設された本殿・鳥居とともに、その記念碑も建立された(前掲書)。

嘉陽の地域史料は、公民館に保管されている戦前の土地台帳のほか、近年確認された「山口家史料」がある。この史料は、明治の前半期に久志間切の地頭代を勤めた奥間氏に関する諸辞令書のほか、商取引の証文類も含まれている。現在字誌づくりが進められており、こうした地域史料をはじめ、嘉陽の風土・歴史・文化の貴重な記録が集大成されるであろう。

出典:「わがまちわがむら