宇茂佐

宇茂佐(うむさ/うんさ)

宇茂佐区の現況

世帯654 人口1,987 面積2.43k㎡

宇茂佐は、方言でウンサと呼ばれる。本部半島の付け根に位置し、名護湾に面する。区域のほぼ中央に低地があり、そこを西に向かって東屋部川が流れ、隣の屋部に接して名護湾に注ぐ。その川に巻かれるように琉球石灰岩の丘陵地があり、その西のすそに字茂佐・屋部の古島がある。南のすそには、名護湾に沿って細長い碁盤目状の集落が立地する。また、東屋部川の北の山すそにはアッパハーという小集落がある。その一帯の低地はかつて水田であった。また、宇茂佐原では、昭和60年に字茂佐地区土地区画整理事業が完了し、住宅や公共施設が急速に建ちつつある。

集落の中を抜ける本部循環線は昭和62年に国道449号線となり、今その整備が進められている。

主な施設に、県立北部農林高等学校・県立名護養護学校・泡瀬養護学校名護分校・屋部給食センター・うんさ森市営住宅・北部地区教職員住宅・県職員住宅・養護学校職員住宅・市環境センター・老人ホームかりゆしぬ村、療育園.名護浦和病院・高齢者創作館などがある。

出典:「わがまちわがむら

人口・1798 世帯数 565

宇茂佐 1227/421

宇茂佐団地 571/144

字茂佐、屋部の先祖が住んでいたという古島原は、グスク時代から近世にかけての遺跡。伝承では、ここにあった7 軒のうち6軒が屋部の、1 軒が字茂佐の始祖となったとされる。近世の史料には「うむさ村」「 字茂佐村」 と記す。大正5年の字茂佐耕地整理事業は沖縄県における同事業のはしりである。昭和18年、中山が成立する際、新山入端原、モクザ原を割いた。昭和24年に北部農林高校が東兼久原に移転。復帰後、市営住宅、県立名護養護学校、名護市環境センター、かりゆしの村、療育園など公共施設の立地があいついでいる。

出典:「名護市の小字

宇茂佐のわがまち・むらのアルバム

宇茂佐の集落・環境屋号図

宇茂佐の小字 区界図と小字一覧

宇茂佐のあゆみ、小年表

宇茂佐の人口と産業

宇茂佐の自治と活動(現在行われる年中行事も含む)

宇茂佐の伝統文化

宇茂佐の文化遺産