三府龍脈碑

三府龍脈碑

種別:有形文化財(歴史資料)

指定年月日:平成3年1月16日/県指定

所在地:名護博物館

名護の市街地を流れる幸地川にかかるあなだ橋の上に、「三府龍脈碑」は建っていますが、それは戦後再建されたものです。原碑は、今次大戦で破壊され、後にその一部が幸地川の河床から見つかり、現在名護博物館に、県指定文化財として保存されています。

名護の人々は、その碑の円首形態がヒンプンに似ていることから、「ヒンプンシー(ひんぷん石)」と呼び親しんできました。

この碑は、名護の地を切り裂いて、名護湾と羽地内海を結ぶ運河を造ろうという話があったころ、当時の三司官であった具志頭親方・蔡温が、その噂話を慎めるため「琉球の山脈が国家の隆盛に深く関わっている」という内容の分を碑に和文で記されています。

碑建立の経緯は、「蔡氏家譜抄録」(11世蔡温)によると、乾隆14年(1749年)己巳3月21日蔡温が言上(申し上げ)を行い、その年の孟夏(初夏)に自ら撰文し、それを受けて1年後(1750年)の孟夏に碑が建立されたといいます。