我部
我部(がぶ)
我部区の現況
世帯86 人口298 面積1.37k㎡
我部は、方言でガブと呼ばれる。屋我地島の西側に位置し、ワルミ水路を隔てると今帰仁村湧川である。湧川には下我部があり、そこから移動してきたという。下我部には我部の御獄があり、現在でも我部ノロによって祭祀が行なわれている。羽地内海に面し、内海に浮かぶ島々や本部半島の山並が美しく望める。
饒平名に隣接するムラウチ(村内)は、土地割がなされた集落としてまとまりをなしている。3班と4班は家々が散在し、メーガチ (前垣)は、廃藩置県の頃首里や那覇から寄留してきた士族によって形成されたヤードゥ イ(屋取)集落である。
製塩業は、戦後まもない頃まで営まれ、 メーガチ(前垣)の海岸にはかつての塩田跡が残っている。主な施設に我部公民館や我部平松広場・上原養殖場などがある。
出典:「わがまちわがむら」
人口 296 世帯数93
乾隆元年(1736)、現在の今帰仁村湧川の下我部から移動する。この時今帰仁村天底村近くにあった松田村も移動し、我部に隣接したようだ。西寄りの前垣には明治以降士族が移り住み、浜の塩田で製塩業を営んだ。戦前、ここは北部一の産塩を誇った。なお、我部の故地、下我部は沖縄の製塩起源伝説が語られる。昭和6年、大池が行政区運天原に割かれる。近年、大規模な土地改良が実施された。
出典:「名護市の小字」
我部のわがまち・むらのアルバム
我部の集落・環境屋号図
我部の自治と活動(現在行われる年中行事も含む)