豊原

豊原の現況

世帯118 人口448 面積1.79k㎡

豊原は、方言でもトヨハラと呼ばれ、昭和17年に久志から分かれて行政区となった。戦前は久志五号とも称されたが、「豊葦原瑞穂国」から「豊原」をとって命名した。東海岸に位置し、北西の方に久志岳(335m)と辺野古岳(303m)が望め、南は太平洋に面し、平安座や伊計の島々が望める。国道329号線より北側の山田原は、キャンプ・シュワーブの演習場となっている。

集落は、県道13号線沿いの方がやや古く、国道329号線に近い部分は新しく形成された集落である。やや古い集落も、移住者Iこよって形成された屋取集落である。分散した形の集落形態をなしている。

主な施設に、久辺(くべ)中学校・久辺小学校・久辺幼稚閲・久辺郵便局・市立給食センター.全沖ブロイラー生産組合などがある。

出典:「わがまちわがむら

人口436 世帯数 114

廃落置県後、首里、那覇からの移住者が屋取集落を形成。昭和17年に行政区として成立した。戦後の一時期米軍隊長の名にちなんで、ミアランシンと呼ばれたが、昭和22年豊原にもどした。豊原、豊里、山田の3小字は戦後に名づけた。久辺小学校(明治34年)、久辺中学校、久辺郵便局がある。

出典:「名護の小字

豊原のわがまち・むらのアルバム

豊原の集落・環境屋号図

豊原の小字 区界図と小字一覧

豊原のあゆみ、小年表

豊原の人口と産業

豊原の自治と活動(現在行われる年中行事も含む)

豊原の伝統文化

豊原の文化遺産