1913年01月12日

名護講習余感(一) 山の人 大2・1・12 沖毎

旧騰〔きゅうろう〕十二月二十五日より同月二十九日迄五日間、名護校に於て国頭教育支部会主催の声音学講習会が開かれた。之より先校長会で愈々声音学といふことがきまったと聞いた吾輩は、爾来実に一日干秋の想で伊波先生の声咳に接するの期を待って居たのである。

然るに、当時俸給支払延滞の為め教員は営養不良名(原文ママ)の状態に陥って居たから、随って出席人員も極めて少数であらうと思ひの外、百余名の申込があり、その中出席して証書を受けた者も実に九十余人に達したとの事である。偖て、会員の多寡は必らずしも奇特といふ程ではないが、今回の講習は確に或方面に於けるレコードを破ったと断言して憚らない。それは第一講習員の精勤である。いつもなら申込員数と出席との差が今少し著しく、其上遅刻早引は勿論、二日三日と日の重なるにつれて中途欠会者が多少続出するのであった。然るに、今回に限って遅刻早引一人もなく、殊に中途欠会者の一人もなかった点に於て空前の精勤である。然らば何が如上の盛況を呈し良習慣の基を開くに至ったかといふに、それは決して権威や命令や規約に依ってせられた者ではない。之は講師が会員即ち聴講者をして一人も一日も欠会すべからざる一のインスピレーションを与へられたからである。由来声音学といふサイエンスは実に無趣味な学科である。吾輩は予め該科に対する何等の智識も研究もなかったので、国語教授の一部として果してどの位の効果があり価値があるかといふことを疑ってゐた。然るに今回先生の講話を聞いて成程声音学は国語教授の基礎として、殊に本県の如く言語本土と相通ぜず、殆んど外国語を学習するに等しき程の国語教授に於て、是非共此の智識がなけれぱならぬことを悟った。今迄ロの開き方がどうの、舌の位置がかうの、カがチャになるの、タがチャに変るのとハケ間敷〔やかまし〕くいふが、一体そんなことが吾等の実際生活に何れ程の関係があるかと蹴なしてゐた吾輩は、言語に対する不忠実の罪を謝さずには居られなかった。昨夏統計講習を受けて初めて統計学の必要を痛切に感受し、従来統計に対する不忠実を謝したが、之で丁度二回同様の謝罪を余儀なくせしめらるるに至った。此の二件で吾輩が国頭の一角にくすぶってゐて、平凡で単調で無意義な生を辿ってゐる内に、時勢は騒々と推移して止まないといふことを自覚した。

名護市史編さん「戦前新聞集成2」より