名護酒造所

名護酒造所

名護町字名護462

昭和24年~48年まで現在のオキマート南側で操業をしていた。轟酒造ともいう。経営者は慶佐次興栄。首里の人。妻は首里出身で与那原育ち。酒屋には義弟と、首里から三人連れてきた。麹を作る製こく機、洗米機(ドラム)を県内で最初に入れたのは名護酒造所と首里の比嘉酒造(まさひろ)。鹿児島県清水町の山本さんから購入。販売は外交に義弟があたり名護、羽地、屋部で行商。卸販売は小売商が持っていった。

昭和24年の酒造免許許可後、米不足で砂糖を徳之島まで本部の石川酒造と一緒に買い付けに行った。当時、宮古糖27円/kg、徳島糖糖18円/kgであつた。 (談 慶佐次興栄)

名護やんばるの酒」より