按司と城塞的グスク

按司と城塞的グスク

名護・山原における按司と地域の成立

穀物農業を導入して200年ほどした13世紀以降、このような小さな農業社会(集落)を基盤にして、アジ(按司)と呼ばれる地域リーダー(支配者)が現れてくる。小さな集落では農業生産力も低く、近隣の集落と農業や交易などさまざまな面で協力・共同して生活していたであろう。その地域的な共同関係を基礎に、より広い地域的なまとまりが形成されていったと考えられる。10~20の小集落を統率する按司が、地方の城塞的グスクを構えるようになる。山原では、北から国頭按司( 根謝銘グスク:ねじゃめグスク)、今帰仁按司(今帰仁グスク)、羽地按司(羽地親川グスク)、名護按司(名護グスク)などが、それぞれの地域(集落)を連合・統合して地方の有力な按司として成長していく。

名護城(名護グスク)と親川グスク

名護から久志にかけては名護グスクに、羽地一円では親川グスクに拠点を設け、後に名護間切・羽地間切と称される地域を支配するようになる。

出展:「5000年の記憶