山入端の始まり

山入端の始まり (山入端の伝承話)

山入端の先祖は、元は今の中山の部落がある所に住んでいた。山の中で薪を取ったりして生活していたが、蔡温がきて、山を荒らしてはいかんと追い払われた。その時、六軒だった。

代わりの居住地を探さねばならなかったが、第一の候補であった現在の北部農林高校の建つ宇茂佐兼久がだめになった。次の候補は現在名謹市役所の建つ名謹兼久であったが、そこもだめになり、その次の候補に屋部の兼久が上がった。しかし、そこでも屋部の村人の猛反対にあい駄目になった。最後に今の安和兼久に決まった。そこに移った六軒は、スン

ジャガーの水をもらって生活を始めた。その六軒から広がったのが今の山入端の村である。(昭和56年民話調査より)

出典:「わがまちわがむら