辺野古
辺野古(へのこ・ひぬく)
辺野古(へのこ・ひぬく)
辺野古の現況
辺野古の現況
世帯458 人口1524 面積10.3k㎡
辺野古は、方言でヒヌクと呼ばれる。東海岸に位置し、久志岳(335m)と辺野古岳(303m)を水源とする辺野古川(流長4.23km)と美謝川が流れる。辺野古川は太平洋へ、美謝川は大浦湾に注ぎ出る。国道329号線が辺野古の集落の北側を通り、世冨慶へつながる横断道路となっている。
集落は、辺野古川下流の辺野古原にあり、河口付近の沖積地が古い集落で、クシヌウタキを背にして、放射状の集落形態がみられる。クシヌウタキの北側の台地には米軍基地の兵隊を相手とする商店や飲食街が形成された。主な施設に、辺野古運動公園・柔剣道場・相撲道場・辺野古浄水場・久志農協辺野古支所・久辺自動電話交換所・辺野古社交業組合・名護警察署辺野古派出所・沖縄バス久志出張所・辺野古ダム・辺野古漁港・キャンプ・シュワーブ米軍基地とその演習場などがある。
出典:「わがまちわがむら」
人口1522 世帯数459
古くは金武間切に属していたが、康照12年(1673)名護間切から久志間切を分割、創設した際に久志間切にふくまれる。近世の史料には「へのき村」「辺野湖村」ともみえる。ミジャ川沿いには、明治中頃から本部、名護からの移住者が住み、昭和12年頃には行政区をつくるほどであった。大浦崎(辺野古崎)は終戦直後、今帰仁、本部、伊江の住民約4万人を収容する民間人収容所が設けられた。そこには、昭和32年から米軍基地が建設され、キャンプ・シュワーブとして現在に至る。
出典「名護の小字」
辺野古のわがまち・むらのアルバム
辺野古の集落・環境屋号図
辺野古の自治と活動(現在行われる年中行事も含む)