安部の拝所と旧家

安部の拝所と旧家

かつての安部ムラはイーヌシマ(上のシマ)にあったが、いつの時代か、現在地に碁盤型集落として移転した。古村跡とされるイーヌシマはかつて丘陵上にあったが、現在は切り崩され、平地になっている。残る背後の丘陵に現在拝所がつくられ、ここがイーヌシマの御嶽と位置づけられている。ムラの祭りや祈願のさいに、ここからタキヌファナという場所への遥拝をする。

タキヌファナはイーヌシマのすぐ西、山田マタの奥にあった滝のあたりで、イーヌシマに居住する以前、一時期ここに人々が住んだという言い伝えがある。一部の人が語るところでは、汀間のウンバハリから平原按司という者が安部のイーヌシマに移り、さらに現集落背後のクバガー(拝泉)近くに再移転したともいう。

イーヌシマの拝所から下に降り、山田マタの流れ川に汀間ノロが水を浴びたとも伝えられる場所がある。ここをヌールガーといった。

イーヌシマからムラウチへの途中にマツンガーがあり、ここも拝みの対象になっている。現在は周囲の地形が変わり、畑の中にその跡がもうけられているが、かつてはヒツミマタの山裾にあった湧水だった。この水を神女が飲んだという。

現集落の山側の裾に大きなガジマルの木がそびえ、その下に香炉がおかれている。ここをフサティと呼んでいる。そのすぐ前の向かって右に根神を出すヤマガーヤー(山川屋*2)、左にリトヤシキ(地頭屋敷)跡がある。リトヤシキには地頭火ヌ神があったといい、その背後に拝みガーのクバガー(内側を石積みされているが掘り抜き井戸にしては浅いので、ワクガーだろう)がある。クバガーのわきから山裾をまわってイーヌシマに出る道は安部のカミンチュの神道である(汀間ノロの神道とは別)。

フサティの並び、東側にはジッタヤー*3(地頭代屋、金城姓)がある。ジッタヤーの台所は普通の家と異なり、西のフサティを避けるように家の東側につくられている。

ヤマガーヤーの東にニガンドゥンチ(根神殿内。根神屋ともいう)、さらにその東に男神のニーブ神を出したスクドゥヌヤー(筑登之屋。汀間屋小ともいう)があった。ちなみに、男神にはこのほかウチワ神がいたが、両者とも汀間から安部に住み着いた家から出たという。神女は、根神のほか十名ほどがいたというが、未確認である。現在のニガンドゥンチは立派に改築され、その中に、右から御嶽の神、根神火ヌ神、アサギの神を合祀している。

そのヤマガーヤーの真正面に、かつてアサギとアサギマーの広場があった。アサギは竹茅葺きの低い屋根を四隅の木柱、そのあいだ半間ごとの木柱で支える造りだった。内部にはタムト木*4はなかったという。アサギのことをトゥヌヤシキともいい、またアサギマーの隅の木の根もとに香炉が置かれていた。

このほかアサギと同じ列に、かつて掟火ヌ神があったウッチヤシキ*5(*5ウッチヤシキは字有地である)跡があり、またムラの共同泉のイズミガーも拝みガーである。

祭り(年中行事)では、神人はまずニガンドゥンチからアサギ、リトヤシキ、ウッチヤシキの順に巡拝してからはじまったといわれる。主な年中行事では、ニガンドゥンチ(ニガミヤー)→イーヌシマ(遥拝→タキヌファナ)→マツンガー→クバガー→フサティ→イズミガーの七か所を巡拝する(以下◎で表す)。

このほかの旧家には次の家々がある。

宮城姓の本家のイリジョー(長男腹)はもとジッタヤーから道をへだてた東にあった。ここからの分家がメーイリジョーで、前列西端にイリジョーグヮー(次男腹)が立地した。イリジョーグヮーから前列にクランニ(倉根)が分かれ、その分家メークランニー,クランニグヮーが浜側に移った。三男腹は山係をしていた祖父の代に上江洲家の娘を妻にして屋号イージグヮー(上江洲小、上江洲姓)となったが、戦後の戸籍復活で宮城姓に戻った。宮城門中は明治年間に門中墓をつくり、清明節に拝んでいるが、もとは勝連半島平敷屋の出身であり、その本家の墓も拝んでいたという(今はウトゥーシをしている)。

浜側の嘉陽屋(カヨンヤー)を本家とする比嘉門中は、ジャウンヤー、前嘉陽、安谷屋小(アダナグヮー)ほか、多くの比嘉姓の分家を含む。安谷屋小は与那原の安谷屋家の娘を妻にしたことによる屋号である。この比嘉門中は戦前、嘉陽の天仁屋殿内に拝みに行き、旧九月の嘉陽ウイグシクへの嶽登り行事にも参加した。

このほか、安部には汀間屋小など汀間系統の家、嘉陽系といわれる川田姓もある。

集落の最も東端には屋号アガリ(比嘉姓)の家があった。この比嘉姓は嘉陽屋系の比嘉姓とは別系統であり、元からの安部系統であるらしい。また屋号メームイ、イギミジョーをはじめとする宮里姓(その一部は南部島尻地方の井本、池原姓に改姓している)も元安部系統の可能性がある。

*2いつのころか、根神の夫になった勝連・平安名の男が山川屋を継ぎ、その子女から根神を出すようになったという伝承がある(仲松弥秀『琉球弧の村落探求』(安部調査ノート)。姓はカジという。

*3大浦ムラに墓があり、そこを拝みにいったという。

*4アサギ内には神女の座順があり、座るときに背にする太い木が横に置かれていることがある。これをタムト木という。