瀬長崎の由来

南山の侍に瀬長按司という人がいた。戦いに敗れ、家来とともに山原に落ちてきて、そこで最後を遂げた。それで瀬長崎と呼ぶようになった。

そこには、自然壕を利用した墓が造られていて、厨子甕が7つくらいあった。20年前に、その墓は村人たちの手できれいに閉じられた。

(以上、昭和61年民話調査より)