屋部

屋部(やぶ/やう)

屋部区の現況

世帯371 人口1,329 面積2.89k㎡

屋部は方言で、ヤブまたはヤウと呼ばれる。その地名は焼畑を意味すると言われる。

旧屋部村の中心地で、役場・郵便局などが置かれた。東側を東屋部川が流れ、南は名護湾に面する。北の山地に源を発する西屋部川は、中山・旭川を下って屋部の集落の中を通り、河口で東屋部川と合流して名護湾に注いでいる。その河口はかつて山原船などが出入リした天然の良港であったが、山地の開墾によって流れ出た赤土が河床に堆積し、昔の姿をとどめない。また海岸に砂州が発達し、河口をふさぎつつある。

集落は、三つの浜堤の上に、碁盤目状の土地割をして立地している。伝統的には大島・久護・兼久・浜・上原の5つに分けることができ、アサギ・ヌンドゥルチなどのある大島が古い。久護には県指定文化財の久護家や、屋部寺がある。兼久・浜の集落は新しい。廃藩置県後、士族が移住して形成した集落が上原である。

集落と集落の間の低地や河川沿いには、かつて水田が広がっていたが、今はその水田も埋められキビや野菜畑に変わっている。北の長筋山原では農地開発事業が実施され、キビ畑を中心とした農地が開発された。最近では、サヤインゲンやミョウガが作られ、スイカ団地もできた。

国道449号線が集落を東西に横切り、西屋部川沿いを山手に向けて、県道117号名護運天港線が分かれる。

主な施設に、名謹市役所屋部支所・屋部小学校・屋部中学校・屋部郵便局・屋部診療所・屋部農協・農協出荷場・太陽の花出荷場・屋部警察官駐在所・新波ダムなどがある。

人口 1291 世帯数 362

宇茂佐古島から先祖が移ってきたとされる。はじめプスマ(大島)に、その後、久謹・浜・兼久・上原にも集落が広がった。久護と前田に沖縄貝塚時代後期の遺跡がある。「おもろさうし」には「やぶ」、近世史料に「やふ村」「屋部村」とみえる。凌雲和尚にちなむ屋部寺(凌雲院)は17世紀末に建てられたと伝える。昭和6年に屋部耕地整理本業が実施され、同13年に東屋部川河口近くに水門が造られる。昭和18年、屋部の山間地域を割いて行政区旭川・中山が成立する。旧屋部村の中心地で屋部支所・屋部農協・屋部郵便局、また屋部中学校。屋部小学校が立地する。久護家は県指定文化財(建造物)である。

出典:「名護市の小字

屋部のわがまち・むらのアルバム

屋部の集落・環境屋号図

屋部の小字 区界図と小字一覧

屋部のあゆみ、小年表

屋部の人口と産業

屋部の自治と活動(現在行われる年中行事も含む)

屋部の伝統文化

屋部の文化遺産