年表 昭和50年代

年表 昭和50年代の出来事

参考文献:5000年の記憶 名護市民の歴史と文化

1975年 (昭和50)

1月 家庭相談員制度スタート

2月5日 CTS建設阻止県民総決起大会

3月 名護市交通安全対策会議発足

3月20日 名護市全域を都市計画区域に指定し、用途地域を決定

3月 仲宗根重吉著『屋我地郷土誌』発刊

5月 沖縄自動車道開通 許田一石川間26.1km

5月 南山城学園(現名護学院)開園

7月 名護JC創立10周年

7月 福地ダム・石川導水トンネル通水式

7月20日 沖縄国際海洋博覧会開幕(~1976年1月18日)長期不況と海洋博不振で企業倒産あいつぐ

7月 名護市夜間急病診療所オープン

7月 辺野古ダム、名護市に移管される

8月 瀬喜田中学校、全国中学校庭球大会で優勝

10月4日 那覇地裁、CTS訴訟却下

11月 自転車道開通 宮里~許田間9km

12月 第1回北部農業祭

1976年 (昭和51)

2月 第1回なご春の文化祭典

2月 底仁屋の御神松の歌碑建立

2月 うんさの森市営団地入居

3月 稲嶺養鶏団地完成(6万爾)

4月 第1回生垣スーブ

4月 宇茂佐に県立名護養護学校開校

5月 大東区に下袋・上袋児童公園完成

6月13日 復帰後2回目の県知事選挙、平良幸市(革新)当選

6月22日 屋良知事、 CTS建設を許可

8月 アルゼンチン名護浦曲会館落成

8月 名護市少年少女合唱団第1回発表会

8月 名護神社社殿、48年ぶりに改修

9月 名護市農林漁業振興促進協議会発足

10月10日 具志堅用高、世界ジュニア・フライ級チャンピオンに(以後13回防衛)

11月 第1回名護市社会福祉大会

11月 ゴミの露天焼却、限界に達する

1977年 (昭和52)

3月 名護市農業振興地域整備計画策定

3月 キャンプ・シュワブ演習場、明治山一帯に、米軍戦車道を建設 県試験林と水源地に被害

4月 東江中学校開校

4月 名護市史編さん委員会発足

4月 屋我地自然休養村整備事業実施

4月 屋我で小規模(5.2ha)土地改良事業完了

5月 許田で戦車道建設に反対する区民大会を開く

5月18日 地籍明確化法成立 公用地法生き返る

6月 21世紀の森野球場オープン

7月 ハリヤー機訓練に対し名護市が抗議

7月 第1回夏の青空市とビールまつり 開催

10月4日 米軍、恩納村・金武村で県道越え実弾砲撃演習を強行

10月 米軍、キャンプ・シュワブ演習場で戦車による実弾砲撃演習

1978年 (昭和53)

2月 第1回なご市民大学講座

2月10日 名護市、キャンプ・シュワブ演習場への市道の米軍車両の通行を禁止する

4月23日 数久田海岸に砲弾破片が落下 金武村には4月13日に同様の事故あり

5月 数久田海岸への105ミリ砲弾落下に抗議する名護市民大会を開く

6月 宇茂佐志味屋原に環境センター(ゴミ焼却場)操業開始

6月 ハリヤー機訓練再開に抗議

6月 『幸喜部落の歩み』(津波仁栄編著)発刊

7月30日 交通方法変更日本同様、「人は右、車は左」に

8月 名護市長に渡具知裕徳3選

8月 名護市庁舎設計競技始まる

8月 第1回名護市民俗資料展開く

11月 沖縄大学、なご移動市民大学

11月 第1回名護市老人クラブ対抗ゲートボール大会

12月11日 平良知事の病気辞任による知事選挙で西銘順治当選

12月29日 キャンプ・シュワブ基地内から、演習中の米兵が名護市許田に機関銃を乱射

この年、屋我地西部土地改良事業に着手

1979年 (昭和54)

1月 ジュゴンが嘉陽海岸で捕獲される

1月 米軍の機銃乱射に抗議する市民大会3000人の市民が参加し、演習の即時中止、基地撤去を決議 カーター米大統領に直訴状を送る

1月 第20回名護マラソン 宗茂・猛兄弟(旭化成)が特別参加

2月 県議会軍特委、キヤンプ・シュワブ基地内に新設のハリヤー機訓練施設を確認、米軍も認める

3月 プロ野球日本ハム、名護キャンプ 以後、毎年実施

3月 名護市庁舎設計競技最終案(1位)決定

4月 M85重機関銃実射訓練再開

4月 名護市下水処理場完成し、東江・城・大東・港区の一部で供用開始する

4月 県立農業大学校開校

5月 羽地・屋我地地域の農協10団体が合併し羽地農協誕生(松田善登組合長)

この頃、インベーダーゲームが子供たちの間で爆発的な人気を呼び、社会的な問題となる

7月 羽地農協ライスセンター操業開始

7月19日 県・米軍・那覇防衛施設局の基地問題連絡協議会が発足

7月 13年ぶりに辺野古大綱引きが復活

8月 米軍の軽機関銃弾が数久田の豚舎の水槽をぷち抜く 米軍の機銃弾直撃に抗議する名護市民大会を開く

8月 久志貝塚発掘調査(名護市で初の本格的な遺跡発掘調査)

9月 屋我地自然休養村オープン

10月 名護市育英会発足

10月 多野岳のホークミサイル基地跡に勤労者いこいの村おきなわオープン 全国で27番目

12月 大学誘致懇話会スタート

この年、県営溜池等整備事業により安部ダムが完工

1980年 (昭和55)

1月 名護市視覚障害者友の会結成

1月 宇茂佐地区土地区画整理事業認可される

2月 県、北部広域市町村圏を設定

2月 久志地区青年団協議会発足

3月 「市民のひろば」100号発行

3月 名護市防災会議発足

3月 市営市場改装オープン

3月 新市庁舎建築着工

3月 第1回市民健康マラソン大会

4月 羽地農協、稲嶺に鶏卵処理施設完成

5月 北部広域市町村固協議会発足.

5月 米軍、M85重機関銃実射訓練再開

6月8日 県議会議員選挙で革保逆転 保守化傾向強まる

6月 名護市地域防災計画策定

7月 名護大通りのアーケード完成

8月 名護市制10周年

9月 名護市制10周年記念第28回九州陸上競技大会開催

11月 第1回屋部老人婦人スポーツ大会開催

11月17日 那覇防衛施設局、米軍用地特措法を発動して強制使用手続き開始

12月 伊差川ゴミ処分地を開鎖する

この年、仲川土地改良事業完了(仲尾次・28 3ha)

この年、天仁屋県営畑地帯総合土地改良事業進む

1981年 (昭和56)

1月 南地区・北地区両青年団協議会発足

3月 沖縄県緑化センター開所

3月 第1回山原子供まつり

3月 名護市史『近代歴史統計資料』刊行

4月 障害児保育を北里・東・羽地保育所で始める

4月 第1回名護市青少年育成市民大会を開く

5月 名護市児童センターオープン

5月 第1回青少年の主張大会

5月 西屋部川取水問題おこる

5月 辺野古弾薬庫に生物化学兵器が貯蔵されている可能性を、名護市が指摘

6月 新市庁舎で業務開始

6月 第1回名護市健康増進推進大会

7月 新市庁舎落成記念式

8月 パイン産業危機突破県民大会を名護で開く

8月17日 6歳未満の戦傷病者戦没者遺族に「援護法」適用

9月 政府、辺野古弾薬庫に毒ガスや核兵器を専門に整備する部隊が酉己置されていることを明らかにする

9月23日 沖縄周辺海域で初の大規模な日米共同演習

11月 市場通リアーケード完成

11月13日 ヤンバルクイナ(学名:ラルス・オキナワエ)、野鳥の新種と認定

12月27日 ”沖縄特例"の高率国庫補助制度の継続決定

1982年 (昭和57)

1月 第20回桜まつり

1月 大湿帯に初めて電灯、電話がつく

2月26日 嘉手納基地周辺住民、爆音訴訟を提訴

3月 非核宣言・意見書等を3月定例議会で採択

3月 屋部モーテル建設反対運動おこる

3月 源河と真喜屋に養豚団地完成

3月 安部老人クラブ、 日本さくらの会より「さくら功労賞」を受ける。

4月 名護高等学校、稲福地原の新校舎に移転.

4月 名護小学校・東江小学校、創立1∞周年

5月 名護市庁舎に日本建築学会賞

6月7日 昨年7月10日以来続いた給水制限が326日ぶりに解除され、全面給水となる

7月 天仁屋地区に県内初の辺地法が適用される

8月5日 第2次沖縄振興開発計画(二次振計)を策定.

8月 名護市長に渡具知裕徳4選

9月 名護市モーテル反対協議会が発足

11月 第5回名護市社会教育振興大会開催

1983年 (昭和58)

2月 第1回名護市青少年文化祭典

4月 名護バイパス、為又―宮里間1600mで一部供用開始.

9月 21世糸Eの森公園で4000人が参加して沖縄県パイン産業危機突破県民大会を開く

10月8日 宜野湾市長、知事に普天間飛行場移転を要請

11月 第10回やんばる展

11月 名護市農業振興地域整備計画一部変更

12月 名護市大学誘致委員会が、北部に地域総合大学誘致を答申.

12月 沖縄県北部モデル定住圏計画が決定される

12月 第1回国頭地区レクリエーション大会

この年、ヤンバルテナガコガネ発見され、新種と認定される

1984年 (昭和59)

3月 名護博物館オープン

3月 名護市史『戦前新聞集成・1』発刊

5月18日 名護市許田でダンプに米軍機銃弾命中

5月 許日の米軍機銃弾ダンプ直撃に抗議する名護市民大会を開く.

7月 久志マラソンコース公認

10月 名護ロータリークラブ10周年

10月 米軍ヘリコプターのドアが天仁屋のキビ畑に落下

この年、屋我地西部県営畑地帯総合土地改良事業により147haが整備される