1913年01月13日

名護講習余感(二) 山の人 大2・1・13 沖毎

吾輩国頭人士は一体気象が強い。中々元気横溢してゐるから、自分では決して時代に後れてゐる積りではない。実際に於ては老朽腐敗してゐても、少なくとも自分一入の気分では一通りゃってゐる積りである。しかし此の度は目が醒めた。もう又とそんな夢を見るのではないといふことがわかった。ああ野猪的な元気は暴虎漏河の勇に同じである。気ばかり猛けても、読書以て心を一洗し、時代の進運に伴はなければ駄目である。寸進秒歩の世界文明は刻々に変遷し発展して止まない。歳月不待人と、文明も又人を待つものでない。吾人は不絶新聞に雑誌に新刊の著書を渉猟して朝夕刺激を得るを以て畢生の事業と覚悟しなけれぱ、只々心中安閑とし朦瀧として過しては如何に老朽せざらんと欲しても宣得べけんやだ。あゝ横道に這入った。伊波先生が声音学に対する穂奥の深いことは予ねて承知して居たが、親しく指導を受けて初めて驚いた。先生が琉球語、日本語、朝鮮語、清漢語、英語、仏独語、其他有ゆる外国語中より例証して素人聴講者をして倦怠せしめなかった。其の思想、材料の豊富、講話の秘術、殊に之を統一し帰納して中心思想"実生活に帰結さるるのは誠に敬服の外はなかった。吾輩は声音学よりは、却ってその帰結されることが多大の興味を覚ゆると共に勘からぬ参考になった。

それ散漫なる講話は縦令〔たとえ〕一時的に興味があっても直に雲散霧消して仕舞ふが、之に反して組織的統一的な講話は秩序整然一糸乱れず、頭脳のどん底に銘刻されて忘るゝものでない。之を以て観れば、遅刻早引欠会はあながち会員のみの罪と断定は出来ぬ。連帯責任は会社銀行の証文上の熟語のみにはあらじ。偖て毎日午後は郷土史の講話があった。沖縄人祖先の渡来より天孫氏以下六王朝の革命、殊に近代史に至り慶長役、進貢と冊封、両属政策、廃藩置県等には最も力を用ひられた。吾輩は国定教科書のみに囚はれて応用の利かない杓子定規の教育が流行せる昨今、伊波氏に依りて迷夢を一掃せられ、甚だ緊要なる郷土の研究が盛になり、追々小学校に於て之が実施せられんとしつゝある事を祝福せずにはゐられない。願はくば之を一場の講話として聞きをさめにされず、各校に於て校長様方が郷土科教授の細目を編製して該科の普及を計られんことを祈るのである。凡そ世の中には不食嫌といふ一種の流行病がある。我が郷土歴史の如きも実に此の病に感染してゐるのではあるまいか。或人はこんな事を唱へてゐた。日本国民として国家の歴史を授ける以上、郷土歴史の如き特別な事を教ふる必要はないとか、或は之を授けると却って小人物の養成になるとか、又は吾が国体と相容れざる所があるとか種々不食嫌的流言をなした。然るに先生の説の通り、琉球は一の藩である。国王とは諸侯の意である。只交通遮断の為めに皇室や将軍の支配を受けることが少なかったばかりである。かう考へて見ると何も相容れない処がないのみならず、非常に価値の大なることと思ふ。

今回の歴史講話の如きは遥に声音学以上の有益であった。猶ほ郡教育家の頭脳改造の点より見ても尠からぬ共鳴を感じたのである。終りに臨み、講師伊波先生が満腔の熱誠を以て講ぜられたるを感謝し、併せて大正第一春と共に充実した農村適切なる教育の発達を祈る。妄言多謝。