久志小学校

名護市立久志小学校(くし しょうがっこう)

(出典:名護市史本編6教育別冊学校誌2003年発行・他)

1882年3月汀間の久志番所の一角に創立。当時の校区は久志間切全体。二見以北地域の児童数減少にともない、2010年天仁屋小学校・嘉陽小学校・三原小学校と統合される。

2012年4月久志中学校と統合され小中一貫教育校緑風学園となり、久志小学校は閉校となった。校区は名護市全域となる。

教育目標

・べんきょうにはげむ子(知)

・おもいやりのある子(徳)

・からだをきたえる子(体)

全校児童・園児、職員(2002年学校提供)

校歌

作詞 宮城敏男 作曲 安谷屋一夫 (1932年制定)

一 太平洋の水清く

守礼の魂地に満てる

北山久志ぞわが母校

友垣つくる四百人

二 瀬嵩が丘の松風に

星霜うつる百余年

文化の潮みちびきて

建てるわれらのあヽ母校

三 朝日ににおう 久志の峯

夕日に映ゆる大浦湾

自然の偉大身に浴びて

棟に望みのなめらかや

四 それ東海の波荒れて

迅は山野に吼ゆるとも

われに不抜の力あり

練りもて日々に進みなん

五 あヽ黎明の鐘はなる

いよいよはげめもろともに

己がつとめをつくしてぞ

世の人々に仰がれん

わが久志小学校

今年で創立121年を迎える久志小学校は、1882年(明15)3月15日に現在の久志支所裏にあった番所の一角に職員室と二教室を仮設し、設置された。

当時の校区は、久志間切全体であった。久志間切は、現在の東村高江から字久志までのことで、間切唯一の学校であった。

1888年(明21)、久志尋常小学校と改称、1895年(明28)に現在の敷地に移転し、1898年高等科が併置され、久志尋常高等小学校となった。

大正六年の卒業生の話によると、高等科が設置されるまでは、尋常小学校を卒業すると、久志間切は字久志から字高江(東村)までの14字で、字平良(東村)以北は大宜味尋常高等小学校へ、有銘、慶佐次、天仁屋は天銘尋常高等小学校へ、辺野古以北は久志尋常小学校へ、字久志は宜野座尋常高等小学校へそれぞれ通っていた。遠隔地からの生徒のため、学校敷地に茅葺きの寄宿舎もあったという。

その後、1910年(明43)に嘉陽尋常小学校が独立、1929年(昭4)天仁屋分教場が設置された。

1932年(昭7)には、創立50周年を迎えた。

次第に戦時色が濃くなっていく中、1940年(昭15)には青年学校が併置され、のちに青年学校は、字三原の南風廻原に久志青年学校として独立した。

また、1944年(昭19)9月には大分県南海部郡明治村(現在の弥生町)へ、児童七五人が学童疎開に出発した。引率者は、教諭の前田真一、松田義太郎、前田チヨ、炊事婦比嘉ツル(大川)、玉城美代(汀間)であった。

この戦争により北部地域に避難民が多数押し寄せ、久志村は一時大きな人口を抱えた。そのため学校は、米軍の駐屯地となった。

1946年(昭21)には、駐屯していた米軍が大浦崎に移動し、学校は再開され久志初等学校となった。同年9月には、大分へ学童疎開していた75人が全員無事帰還し、親もとへひきとられた。

その後、学校は後援会や民政府による学校の整備が進められ、1951年(昭26)には「社会科カリキュラム構成」の実験学校の指定を受け、戦後初の研究発表を行なった。同年3月には、創立70周年記念式典を挙行、混乱期においても着実に歴史を刻んでいった。

1957年(昭32)9月27日のフェイ台風により、戦災を免れた木造校舎は全壊、書類や備品を失った。しかし、PTAや政府の援助により、翌年には鉄筋二階建のブロック校舎が完成、祝賀会が挙行された。

1972年(昭47)の中学校統合までは、併置校であり、久志小学校のあゆみには久志中学校の活躍も多く記されている。

特に、スポーツにおいてソフトボール、男子バスケットボール、女子バレーボール、庭球の地区優勝、全琉大会の出場など輝かしい記録を残している。

統合を前にした1971年(昭46)10月3日には、小中学校併置最後の運動会も開催した。

小学校の単独校になってからも、図工科の校内研究、校庭開放校の指定、体育館の落成、など教育活動や学校環境の整備などが進んでいった。1977年(昭52)には創立95周年より、創立記念日を学校行事として遠足を行ない、徒歩で学校にゆかりのある土地へ出かけるというユニークな取り組みが新聞にも度々とり上げられた。

1982年(昭57)には、創立100周年を迎え、カーサー弁当(芭蕉の葉などで包んだ弁当)を持っての記念遠足、新校舎の完成、記念庭園の造園、二日間にわたる祝賀行事の開催、久志小学校音頭のレコーディングなど盛大な記念行事を挙行した。また、100周年記念行事と並行するかたちで、金銭教育・労作教育にも力を入れ、1980年(昭55)の貯蓄優良子ども組合の表彰(沖縄県農業信用組合)を皮切りに、九州地区金銭教育研究会への派遣、労作教育の視察など当時の仲本興真教頭を中心に研究が行なわれ、1981年には、沖縄県民生課より金銭教育研究校の指定を受け、三年間成果を発表した。金銭教育研究は当時例のないもので、それによって1983年、沖縄県貯蓄推進協議会より表彰を受けた。

1992年(平4)創立110周年記念式典挙行、1993年文部省および沖縄県指定「体力つくり」研究校、2000年(平12)全国へき地教育研究大会での三クラス公開授業など、過疎化の進む中、少人数の利点を生かした教育を実践しながら今日でも着実なあゆみをつづけている。

校章

1982年(昭57)の創立100周年記念事業で「五つ若森会」(久志小出身教員の会)が提唱し、樹立された。稲は大きく成就することを、結びは協同・協働・共同することによって、よりよく向上することを、全体を囲む円は自然・人・地域との調和を表す。

(豊見山栄三・新川純子・岸本一健)

久志小学校 年表

1882年3月15日 久志小学校として創立

1888年 久志尋常学校に改める

1898年4月1日 久志尋常高等小学校となる

1908年 義務教育延長、6年制度となる

1932年 創立50周年記念式典挙行、校歌制定

1940年2月 県指定「学校経営」研究校に指定される

1941年4月 久志国民学校と改称

1944年4月1日 青年学校独立

1946年3月31日 久志初等学校と改称

1948年6月 運動場、農場拡張991坪

1950年10月1日 地区研究校に指定される

1951年4月 実験学校(社会科)に指定される

1952年3月15日 創立70周年記念式典挙行、給水施設完成

4月1日 久志小学校と改称する

1953年3月 校内親子ラジオ設置、電話架設

1957年4月1日 久志小中学校となる(併置校)

9月27日 フェイ台風により赤瓦校舎(150坪)全壊

1958年11月22日 新校舎落成(普通教室7、特別教室3)

1961年3月12日 同窓生寄贈による給食準備室(10坪)落成

1962年3月21日 創立80周年記念式典を挙行

1964年8月1日 昼夜灯電気施設完成

12月22日 校長住宅竣工

1968年2月16日 久志教育区教育委員会指定「算数・数学」の研究発表を行なう

2月27日 久志教育区の全校が完全給食を実施する

1969年1月20日 北部連合区教育委員会指定「道徳教育」の研究発表を行なう

1970年9月17日 校地拡張工事(603坪)

1971年4月1日 久志幼稚園が併置される

1972年4月1日 久志中学校を分離し、久志小学校(独立校)となる

1975年3月28日 体育館竣工

1980年1月22日 管理棟完成

7月26日 貯蓄優良子ども組合として沖縄信用農業組合より表彰

1981年2月19日 県金銭教育指導者研究協議会で「労作教育」の研究発表を行なう

1982年3月15日 創立100周年記念遠足(校内式典)

3月25日 新校舎落成(12教室)

10月2日 運動場整備工事完了(市より960万円)

11月23日 久志小学校音頭レコーディング

12月4日 創立100周年記念祝賀行事を行なう

1983年10月27日 沖縄県貯蓄推進協議会より、感謝状が授与される

1985年4月 市教育委員会より「学級経営研究校」に指定される

1988年12月21日 青少協美化コンクールで総合賞、最優秀賞受賞する

1991年12月22日 創立110周年記念植樹(三日間)

1992年3月15日 創立110周年記念式典および祝賀会開催

8月27日 100m県代表で全国大会出場(五年比嘉利典)

1993年1月12日 文部省・県教育委員会指定「体力つくり研究校」一年次発表

8月1日 県児童オリンピック六年生400mリレー男女優勝

8月28日 100m県代表で全国大会出場(六年比嘉利典)

1996年5月18日 体育館落成記念式典および祝賀会開催

7月28日 県児童オリンピック幅跳び一位(四年池宮秀直)

1998年11月22日 全国書画展覧会で学校奨励賞を受賞する

1999年11月30日 市教育委員会指定「学力向上対策」の実践発表会を開催する

2000年2月29日 六年児童と久志地域民謡愛好会が記念植樹を行なう(桜23本)

10月26日 全国へき地教育研究沖縄大会で、三学級が公開授業を行なう