許田の手水

許田の手水

許田の手水は、部落の北はずれ丘のふもとにある樋川で、ここの水は昔から村人の生活用水として使われていました。今は湖辺底と許田の間は許田橋がかかり、さらに自動車道の架橋も設置され、交通の便が大変よくなっていますが、その昔は、許田への渡し船も橋もなかったそうです。そのため、当時の旅人は、許田へ行くのに福地や古知屋又の内海沿いに遠く迂回しなければなりませんでした。

何時の頃か、ひとりの侍がこの地を過ぎ、樋川にのどの渇きを潤そうとしました。たまたま年頃の娘が清水を汲んでいるのに出会、侍は水を所望しました。娘は求められるがまま両手に清水を汲んで勧めたそうです。これが縁となって娘は村から連れ去られ、村人をなげかせたという話が伝わっています。

その手水の情緒をめぐっては、文苑の取材として、文章に詩歌に文飾され、平敷屋朝敏の組踊り「手水の縁」を創作されるのに至ったのです。

馬よ引き返せしばし行ぢ見ぼしゃ 音に聞く名護の許田の手水(恩納節)

面影よ残す許田の玉川に 情け手にくだる水のかがみ(恩納節)

汲みよ初めたる誠真実の 流れててらん許田の手水(金武節)