1917年
大正6年
大正6年
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3月 郡道名護―渡久地線(古山入端原経由)、名護―今帰仁線開通
4月 衆議院議員選挙
5月 県会議員選挙 国頭郡から久志助英・金城時男・大城彦五郎・宮城栄喜・平良真順・仲田徳三が当選.
6月13日[沖]沖縄県教育会、那覇女子技芸学校に私立沖縄盲唖院設立
6月18日[沖]沖縄県師範学校本科生徒、教師の排斥を叫び同盟休校
6月19日[沖]沖縄県立工業徒弟学校建築科生徒、教師の指導に抗議して同盟休校
6月 那覇―名護間に乗合自動車業おこる
6月 羽地大川耕地整理組合設立認可(親川登嘉組合長、170余町歩)
6月[沖]沖縄県立第一中学校で普通語奨励のため罰札(方言札)を考案し使用始める
7月[沖]大正四年の県訓令廃止。青年会が青年の修養機関として位置づけられる
8月19日[沖]島尻郡で本県初の女教員大会開催
8月 久志村販売購買信用組合解散
この頃、辺野古美謝川流域に本部・今帰仁・首里などから開拓者が入植を始める
9月 山入端隣次郎ら沖縄自動車(株)を設立
10月 暴風雨により、第3運輸丸、宮里大瀬原地先で難石皮、犠牲者16名をだす
11月 県立農学校還元運動につき国頭郡有志が協議
12月 名護尋常高等小学校主催の学区6カ字婦人会を始める
12月 国頭郡青年団大運動会を名護兼久馬場で開く
この頃、辺野古美謝川流域に本部・今帰仁・首里などから開拓者が入植を始める
この年、羽地の平良源八(川上)、磯野式鋤(すき)を紹介・普及する
この年、羽地村の真喜屋地区耕地整理計画(50町歩)
この年、羽地田井等の碑森の裏に初めて屠殺場設立
[沖]この年、小学校長および教員の大異動と罷免(100余人)行なわれる
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