天仁屋の伝統文化

天仁屋の伝統文化

拝所と祭紀

近世の御獄として、「由来記」(1713年)にアフラヤマ徹(神名コバヅカサノ御イベ)が記され、そこは天仁屋村根神の崇べ所であった。また、神アシアゲがあり、そこの祭記は嘉陽ノロが司った。当時の祭祀には、稲二祭・年浴・柴指・ヲンナイ折目などがあった。

現在、公民館のすぐ前にガジマルやアコウの木が茂った所があり、その北の端に神アサギ、南の端にウタキがある。ウタキの入口には鳥居もある。また、そのウタキは嘉陽ウイグシクヘのウトゥーシでもあるという。そこから、道をへだてた東にはニガミヤーがある。

拝井泉として、集落の東にウッカガーがある。

現在、神役はニガミとウドゥイガミだけとなったが、戦前はサンナンモーという神人の小使いやニーブガミという男神もいたという。ニガミは比嘉系統から出ている。

現在も続く伝統的な年中行事は、表に見るように、旧1月3日のカーウガン、4月のアブシバレー、5月のウマチー、6月のウマチー、9月の柴指などがある。

芸能

天仁屋の公民館は、すぐ村踊りの舞台になるように造られていて、神アサギに向かう。現在、天仁屋では3年ごしに村踊りをやるが、その際、天仁屋から分区した底仁屋と合同でやっている。底・仁屋の分区前は、旧8月9日・11日・13日の3日間やっていたが、今は11日に1日だけやっている。当日、まず踊りの 衣装を保管しているヒジャーヤーから道ジュネーがスタートする。公民館前の通りを北に向いジョーグチと呼ばれる所で引き返し公民館に戻る。戻るとまずガーイーが行なわれ、そして舞台の芸能に入る。踊りは天仁屋・底仁屋・有津で分け、それぞれの地区で練習を積んで本番に天仁屋の舞台に立った。天仁屋では長者の大主・稲摺節の他、女踊りなどを分担し、有津は高平良万才や前之浜を得意とした。今はやってないが、以前は組踊も盛んだった。天仁屋は「伏山敵討」、底仁屋は「八重瀬」、有津は「久志の若按司」を得意とし、それを交互にやっていた。また、歌劇「真玉橋由来記」や「泊阿嘉」も有名だった。旧盆にはエイサーもやる。現在やっているのは2年程前に三原から習ったもので、底仁屋と合同でやっている。戦後直までは伝統的なティーモーイ(手舞い)を中心としたエイサーで、各戸を回っていたという。

出典:「わがまちわがむら