辺野古の人口と産業

昭和35年以降の人口の動向は推移グラフに見るように、同年318世帯・1,389人である。新しく「基地の町」ができたこともあり、翌36年には1,900人に急増し、昭和42年頃までの数年は2,100人台で推移した。同43年に1,700人台に急減するが、同46年には2,000人近くに回復した。その後は、徐々に減少傾向となり、同56年には1,490人まで下がったが、近年は1,500人台で安定している。昭和60年現在1,524人を数える。昭和40年頃のピーク時に比べると、7割に減ったことになる。世帯数は、昭和30年代後半の人口急増とややずれて、昭和41年に80世帯ほど急増し、一時期減るものの、同48年にかけて593世帯まで増えた。その後はわずかながら減少して、現在458世帯を数える。昭和48年のピーク時に比べて2割ほど減っている。

辺野古の産業の現状を産業別就業者の構成について見ると(同表参照)、就業者548名の内、第1次産業9%、第2次産業19%、第3次産業72%という構成で、第3次産業に従事する人が多くを占めている。就業者数は、ここ15年の間に4分の3に減っているが、それは以前9割近くの人々が従事した第3次産業(卸小売業・サービス業)が減少したことによる。増えている第2次産業では、建設業に従事する人が多い。

第1次産業は、辺野古では比重が小さいが、その農畜産業について見ると(農業基本統計表参照)、現在農家は32戸で、全体として17haの経営耕地面積を持っている。作物はキビが中心である。パインは一時期12haほど栽培されたが、現在は作られない。近年の動きとして、野菜類や施設園芸が伸びている。なお、昭和58年度から団体営農地開発事業(18.6ha)に着手されている。

畜産は、以前養豚が700頭規模で飼養されていたが、近年は大きく減っている。

辺野古には、漁業に従事する人が現在10名いる。辺野古漁港の水揚げは年間約204トン(昭和59年)で、名護市の総漁獲量の18%を占める。モズクが大半である。

出典:「わがまちわがむら