我部の塩田跡

我部の塩田跡

種別:史跡

指定年月日:平成25年6月4日

所在地:我部

(説明)

屋我地の塩づくりは、那覇市泊潟原の眞喜志親雲上康嗣らによる「入浜式塩田」で始められ、以後北部で有数の塩の産地として栄えました。

その塩田も明治38年の塩専売法の施行、また人力だけに頼ったいた製塩作業も、海水から直接塩をとることのできるイオン樹脂交換膜法などの機械化におされ、昭和40年前後には自然終息的に終えることになります。

現在、屋我地には我部、運天原、済井出、饒平名にそれぞれ塩田のあとが残っています。屋我地の我部は、今帰仁間切の下我部より1736年(道光1年)蔡温の山林政策によって村落移動してきた村です。現在の今帰仁村湧川の下我部にあるス-ヤ-の御嶽は製塩の始まりの地と伝えられています。