#611(2022-7-17)

苦しみと思い煩い

2022. 7. 17.

白寅天

n Iペテロ 5:7

7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

n IIコリント 1:4-5

4 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。

5 それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。

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 私たちの人生で心配はいつも、だれにもあることです。誰でも心配が無い人生を望みますが、その心配は自分が思わない中に来ます。ある時には、心配した通り良くないことが来ることがあるし、ある時には、心配したことがただ心配で終わる時も多いです。聖書で心配は色々の意味を持って言われます。

1.(へブル 2:1)初め、肯定的な心配で、心に留めることの意味です。私たちが罪に落ちらないように目を覚ましていきること、神様が我らのために心に留めることです。

2.(Iコリント 7:33-34)この世で生きながら、自分の位置や役割、仕事のことによって心を配ることです。乙女が結婚すると自分の家族や夫のために心を配ることは自然的なことです。

3.(Iペテロ 5:7, ルカ 21:34) この世で必ずこる心の煩いやある時には欲望が過ぎて来る心の煩いです。これは聖書で確実に必要ではない、他にはすればダメのことです。

正しい、また、適当な心配とは必要なことですが、過ぎる心配は罪に行き易いです。また、この心配は苦しみがある時に持つようになります。苦しみは我らに心配や重荷を与えやすいですが、聖書はこれは神様が我らの救いと成長のために使えって下さる祝福を道具と言われます(IIコリント1:4-5)。苦しみは、我らの心の罪を見て主に帰るようにすること、我らを謙遜にして従順するように、我らの信仰と救いのために、また、人々を主に導くために仕えられます。 

 我らの人生の中で主の素晴らしい導きを経験して、主の大きい恵みがなぜ、なんのために有ったのかを悟って主に栄光と感謝を捧げる人生を過ごし、これが我らの救いの道への恵みの導きであることを悟られますようにお祈りします。

【教会通信】

・主の日が近づいているのを見て、主が清くあられるように自分を清くする人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、御霊様の実を豊かに結ぶ人生を過ごせますように。

・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。

・兄弟姉妹たちが、自分の罪に落ちらないように心を配る人生、しかし、この世への思い煩いから自分を守り、主が許して下さる苦難について感謝を集める人生を過ごせますように。