#235(2015-1-18)
【メッセージ】『自分を生贄として捧げる』 白寅天師
ローマの信徒への手紙 12章 1節
こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自
分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、
あなたがたのなすべき礼拝です。
先週、真の礼拝の出発は罪の駅から離れて救いの列車に乗ることがと比喩しました。この列車の方向は
今までの方向と反対であり、生きる意味も性格も完全に違います。それは次のように言われます。
- 罪から離れその習慣を捨てること。(ローマ 6:4-6)
- 光(真理、命、敬虔)に来ること。(Iヨハネ1:7、イザヤ9:2、使徒26:18)
- 自分の罪の属性、固執、サタンの騙すと脅かすによって縛られたことから離れること。(イザヤ
58:6-8、61:1、ヨハネ 8:32)
真にイエスを信じる人は、罪、暗闇、自分から離れて真理、光、命に移った経験が有ります。それは罪
が縛ったことを壊す、すなわち自分が否定(死ぬ)される経験です。以前は罪とは思わなかったことが罪
であることが悟られ、以前は離れたいけど離れられない所から、自分も知らない力によって離れて新た
な神の真理に従って自分を捧げることです。これが真理による自由の人生です。
この自分が否認されて神の所に移る過程を見ると次のようです。
1) 今私が欲しいことが何なのかをはっきり見ます。それは、罪、暗闇、高慢、固執、快楽、自己中
心、憎む、妬み、恐れ、悩み、死、滅びです。
2) 神様が何を望んでおられるのかを分かるようになります。それは光、真理、命、聖なる、朽ちらな
いこと、愛、喜び、平和などです。
3) 私は否認して、自分を選択してなく、神を選択することです。
これは小さいことから大きいことまで続いて従順するべきです。初めは難しいですけど、この選択を続
くと成長してだんだん慣れるようになります。しかし、したらするほど、罪を犯す本質は変わらなく、
善を行うことがもっと出来ない自分自身を見つかります。それで、その選択も主の恵みであることを分
かります。ただ主の十字架の御業と恵みの働きに賛美と感謝を捧げます。主の恵みによって自分自身を
生贄として続いて捧げる皆さんとなりますようにお祈りします。