福音と救い
2021. 10. 17.
白寅天
n エペソ 2:8-9
8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身からでたことではなく、神からの賜物です。
9 行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
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私たちは、「死んで天国に行きたい。」と言うことを良く聞き、その思いをします。天国に行くために人々は良い行いをする人生を過ごすこととしてよく思われます。聖書では、それを、神の民になること、神と永久に生きること、罪が無い完全な人―義人、救いと言う言葉で言われます。
今日の御言葉で、救いは、信仰によって受けられることで、人の行いによるのではないと言われます。多い人々がこの御言葉を信じることであり、好きなことです。また、福音の大事な真理です。行いよって義となれないと言う言葉はカラテヤ2:16でもよく言われている真理です。「しかし、人は律法の行いによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行いによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行いによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。」(カラテヤ 2:16) 誰も自分の行いによって救われ人は一人もいないです。
しかし、聖書では、行いが無い信仰は死んでいる信仰だと言われます。「それと同じように、信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは死んだものです。」(ヤコブ 2:17) 人の考えでは矛盾と見えますが、主の御霊様の中でよく理解できることです。これは矛盾でなく、真の信仰は、行いの実を結ぶ証拠があることです。大事なことは真の信仰が何かであることです。真の信仰は、罪を赦すイエスの十字架の御業を認定することだけではなく、イエスキリストが真の主人として私の心の中心でおられることです。人生の主人が変わることです。なぜなら、いままの自分が主人として生きた罪の人生を真に悔い改めて、昔の自分は真で、主なるキリストに従う新たな自分が生きたからです。このように、御霊様の恵みの導きによって、真に自分の主人が変わって主の統治に従う人は、自然的に行いの実を結び、自分の救いを確定します。
この真の信仰によって、キリストが真の主人となって、その統治の中で生きる私たちとなりますようにお祈りします。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、主が清くあられるように自分を清くする人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、御霊様の実を豊かに結ぶ人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、真に自分が死んで主が生きる信仰によって、キリストが真の主人となり、その統治の中で生きることが出来ますように。