主のお祈り(5)
2019. 3. 17.
白寅天
n マタイ 6:13
13 私たちを試みに会わせないで,悪からお救いください.』〔国と力と栄えは,永久にあなたのものだからです.ア―メン.〕
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試みには二つの意味があります。一つは誘惑(temptation)、もう一つは試し、試練(テスト)です。誘惑はサタンが聖徒を倒すために与えることで、試しは神様が聖徒を強くし、清潔するために許すことです。それで、試しは試練(trial)の意味も含めています。二つの概念がはっきり分かれている御言葉(ヨブ 34:36, 創世記 22:1/ ヤコブ 1:13, マタイ 26:41)も、二つの概念が混ぜている御言葉(Iコリント 10:13)もあります。
試練やテストは神様がご自分の民の清めまたは成長のために与えられることです。神様は苦しみを通して我らを正しい道に導いて下さいます。「苦しみに会う前には,私はあやまちを犯しました.しかし今は,あなたの言葉を守ります.」(詩篇119:67)神様は息子イサクを捧げる命令を通して彼の心を試し、すべてが神様に向かうようにし、ヨブは苦しみを通して彼の中で隠された罪を見つけ、悔い改めをするようにしました。
今日の御言葉、主のお祈りで出る試みは、誘惑の意味が強いです。サタンは初めの人、アダムとエバからキリストが再び来られる日まで、神の方取って造られた霊魂を神様から離れるように最善を尽くしています。彼の一番大きい目的は人々を誘惑して、彼らが倒れて悪に落ちて神様から離れて地獄に送ることです。サタンは私たちの弱さ、すなわち、付け札をよくわかってそれによって攻撃します。その弱さは、普通欲望(ヤコブ 1:14)になり、自分に特に強くて、それに弱いことになります。サンソンには女人、サウルには力と名榮などになります。これについて攻撃を受ける時には緊張して注意している時ではなく、自分が自信がある時、安全だと思う時です(Iコリント 10:12)。自分が立てていると思う時が一番危ない時です。主の祈りの中でそれの具体的な例を言われています。それは主の統治が自分にない時、毎日の糧を求めない時、人の負い目を赦すことが出来ない時、もう誘惑されたことです。その時には悪から救い出すことをお祈りするべきです。
最後に、神の国と力と栄えとが永久にあるように、栄光を主に捧げるべきです。我らのお祈りの初めから終わりまで、主に栄光を捧げるべきです。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、目を覚まして御霊の油を準備する賢い娘の人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、主が自分の真の主人となって生けますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日自分の弱さをよくわかって、目を覚まして、主の統治に自分を入り、日ごとを糧を求めること、人を赦し愛することを通して誘惑に落ちらない人生を過ごせますように
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。