#599(2022-4-24)

聖書的救いの過程

2022. 4. 24.

白寅天

n ローマ 8:28-30

28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。

29 なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。

30 神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認められた人々にはさらに栄光をお与えになりました。

---

 先週、蘇りについて分かち合いました。イエスの死と復活は、肉的に、また、霊的に、私たちに適用できることです。私たちは、御霊による信仰と洗礼によって、イエスキリストの死と蘇りに連合されて、生まれ変わりになりました。これは霊的なことだから、実際に、自分で経験し、確信を持つことまでは、主の恵みが必要なことであることを分かります。

 今日は、人を選び呼んで、救いに至るようにする順序を聖書に基づいて考えます。今日の御言葉、30節「神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認められた人々にはさらに栄光をお与えになりました。」のように、救いの過程には、順序があると見えます。しかし、この順序には色々な違う意見もあります。霊的なことは人の理性で完全に理解しにくいです。

 聖書で、救いは、人が罪を悟って悔い改め、信じて主に帰り、洗礼(霊的なことを意味する)を受けると御霊様(賜物)を受けると言われます(使徒 2:38)。これら全体的に整理すると、改革派の観点で、「召命、生まれ変わり、回心、信仰、義と呼ばれる、収養、聖化、牽引、霊化」と順序で見られます。しかし、あらゆる観点で、少し違いますけど、これは、生まれ変わり(重生)と悔い改めと信仰との順序の差であります。真の悔い改めと信仰が重生から来るか、重生から悔い改めと信仰が来るかの差の意味です。これは、すべてが恵みによることと人の従順が必要と言う観点の差です。どんな観点でも、定められた人の救いは神の恵みと御霊様の牽引によって完成されます。その人は御霊様によって証印されました(エペソ 1:13)。いつも、主と共に死んでいき、御霊様の実を結んでその証拠が見られます。これによって私たちが救いの確信と喜びをもって生きることが出来ます。

【教会通信】

・主の日が近づいているのを見て、主が清くあられるように自分を清くする人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、御霊様の実を豊かに結ぶ人生を過ごせますように。

・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。

・兄弟姉妹たちが、毎日御霊様の力に従い、主と共に死んで生きることによって、復活の力の中で、御霊様の実を結ぶ人生を過ごせますようにお祈りします。