弟子の人生への召されること従順
2020. 11. 1.
白寅天
n ルカ 14:31-33
また,どんな王でも,ほかの王と戦いを交えようとするときは,二万人を引き連れて向かって来る敵を,一万人で迎え撃つことができるかどうかを,まずすわって,考えずにいられましょうか.もし見込みがなければ,敵がまだ遠くに離れている間に,使者を送って講和を求めるでしょう.そういうわけで,あなたがたはだれでも,自分の財産全部を捨てないでは,わたしの弟子になることはできません.
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今日の御言葉は主の弟子の道についてです。あるかたは、自分のすべてを捨てて主に従うことは、主が選んでくださって恵みによって出来ることだと言います。この結論は、実際にこの人生を過ごす方もこう言われるし、そのように生きていないですが、教会で聖書勉強や説教を聞いたかたも、皆このように理解します。主の恵みによってなさることは正しいです。そうですけど、今日の御言葉を見ると、主に弟子として従うことでは、個人一人一人が明確な計算と選択と従順が必要であることを言われます。計算する時、自分の財産全部を捨てること、自分の命さえ捨てることを計算しなければならないこと、このように主に従わないと主に弟子になれないと言われます。
皆さんはこの計算をしたことがありますか?真に、自分のすべてのことを主に捧げて主に従うことを悩むことがありますか?それをして、そのように主に従うことを決定し、今もこのように生きているなら、その悩みと過程がとても難しいことでしたが、それがどれほど大きい祝福であるのかを深く経験し、感謝をもって生きると確信します。また、そのようにしたことが無いと、まことに主の前でそれを悩み、計算し、決定して主に従うことを主の御名によって祝福します。実際に、「あなたの命をささげる」と私の個人的に言うなら、私は危ない人物かもしれないです。しかし、われらの主人である主がこのように言われます。主は、十字架での死、復活の後、弟子たちに使役を委ねた後、天に昇る前、地上命令を与えられました。その地上命令は「人を弟子としなさい。」です。その弟子は「主が命じたすべてのことを守る人」です。主は私たちに、ちょうど、この弟子とすると言われるし、これは不変の真理です。それで、このように、自分のすべて、命をもって主に従わない人は弟子ではないと言われ、私たちのすべてのことを捧げて主に従う人を探しておられます。
それで、金持ち青年が、主がご自分を従うことを言われた時、その青年は金持ちだから、従われないことを見て、富が天国に入ることがどれほど難しいことかを言われました。しかし、人は不可能が、神には出来ると言われます。これが恵みの意味です。その恵みを受けた人は明確に計算して、自分の人生の終わりまで、命をもって主に従うことを選択し、従います。そのように出来る理由が恵みです。実際に、人は決定したけど、行う力が無いですが、主はその心を知って恵みの力を与えられます。
しかし、計算して見たら、自分は出来なくて、その心も無いので、従わなかったあら、それは主が彼に恵みを与えられなかったからではありません。自分がそれを選択したことです。それで、私たちは、神の領域である恵みをわれらの領域で引いて持つ越権をしてなく、ただ自分に与えられた自分の役割、すなわち、十分計算して自分の死を覚悟して準備し、決定して従順の道に行くことだけに集中しなければならないです。従順には、自分の死と否認が必要です。どれほど難しいであるのか、経験したからはわかります。サタンがまた、自分自身が自分を騙して、合理化するように惑います。しかし、最後まで、主の真理の御言葉を固く持ち、弁明して無く、その御言葉に従う時、主は素晴らしい祝福をもって返して下さいます。これが御霊様の御声を聞ける耳を持つことが出来る由一の秘訣です。御霊様の御声を聞き、従って勝つ弟子の人生を生きる私たちとなりますようにお祈りします。