#449(2019-5-19)

山上の垂訓の八の祝福(5)

2019. 5. 19.

白寅天

n マタイ 5:8

8 心のきよい者は幸いです.その人は神を見るからです.

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今日は心の清さについて考えます。「心のきよい者は幸いです.その人は神を見るからです.」自分の罪を赦し、救い出した主の哀れみを経験した人は、心の清さを求める祝福を受けます。それで神を見る特権を持ち、新たな喜び、μακάριοςマカリオスを経験します。「心の清い」で心はギリシャ語でκαρδίαカルディヤで、心、中の自我、意図、動機を意味します。清いは、καθαρόςカダロスで、清い、綺麗、純粋、汚れや罪がない、の意味を持っています。

聖書で、心と清い(καθαρός)の単語を探すと、清さは聖徒の代表的なすがたで言われています(黙示録 15:6, 19:8, 14)。主が再び来られた後、主の花嫁として、主の軍隊として、主と共に主の王国に住む人々は清い麻布を着ています。「花嫁は,光り輝く,きよい麻布の衣を着ることを許された.その麻布とは,聖徒たちの正しい行ないである.」(黙示録 19:8)。その清い服は聖徒の正しい行いです。この清さは、聖書で次のことを言われています。

1.清い心、霊魂、生まれ変わった内の自分、義の動機を意味し、これからは義、信仰、愛と平和が出せます(IIテモテ 2:22)。箴言4:23での心は動機を守る意味です。主の哀れみによってただ主のために働くことです。主の僕と言う人々は、自分のために説教し易いです。ただ主の霊魂のために説教するべきです。

2.聖書で心と共に言われることが良心です(テトス 1:5, Iテモテ 1:5,3:9)。清い心は清い良心と共にいます。清い動機は清い良心から来ます。清い良心は主の御言葉に従って生きる人生から来ます(Iペテロ 1:22)。不従順が続くと悪を当然と思うし、罪に鈍感になります。敏感な良心から清い心が来ます。

3.清さは外と内が同じく清いことです。偽善者のように外に見えることだけではなく、心の深いどころの動機が清いことです(マタイ23:26, ルカ11:41)。これは汚れが無い清い聖なる人生を過ごし、この世俗から自分を守る人です(ヤコブ 1:27)。

動機が清い人、ただ主が自分のすべての動機になって生きる人は神の山に登り、主を見ます(詩篇24:4)。この祝福を受けますようにお祈りします。

【教会通信】

・主の日が近づいているのを見て、目を覚まして御霊の油を準備する賢い娘の人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、主が自分の真の主人となって生けますように。

・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。

・兄弟姉妹たちが、真に自分が死んで主が主人となる人生、主だけが自分の心の動機なる、心の清い者の人生を過ごせますように。

・二部で総会が御座います。良い評価と計画をする時間となりますようにお祈りして下さい。

【お祈り下さい】

・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。

・主の愛に励まされ、隣人を愛し福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。

・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。