神に最も喜ばれる犠牲
2016. 6. 19.
白寅天
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n 詩篇 69:29-31
29 しかし私は悩み、痛んでいます。神よ、御救いが私を高く上げてくださるように。
30 私は神の御名を歌をもってほめたたえ、神を感謝をもってあがめます。
31 それは雄牛、角と割れたひずめのある若い雄牛にまさって主に喜ばれるでしょう。
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今日の御言葉で、神に最も喜ばれる犠牲は、神の御名を歌をもって褒めたたえること、神に感謝をもってあがめることです。しかし、これが29節を見ると、自分が悩みと痛みの中にいる時です。その悩みと痛みが主の家を思う熱心が大きいから(詩篇69:9、ヨハネ2:15-17)、敵によって受ける悩みや痛みです。その一つの例が十字架に掛けたキリストの苦労です(詩篇69:21)。悩みや痛みの中での賛美と感謝はどこから来ることですか?
賛美と感謝は我らの生贄です。我らが主に捧げる祭祀であり、礼拝です。正しい真の礼拝はまことに自分の全てのことを捧げることです。正しい礼拝について考えます。まず、詩篇69:9とヨハネ2:15-17を考えます。ダビデはキリストの心を持って、「それは,あなたの家を思う熱心が私を食い尽くし,あなたをそしる人々のそしりが,私に降りかかったからです。」と言いました。自分が敵によって攻撃される理由がこれだと言いました。イエス様はなぜ、神殿で羊、牛、鳩を売る者たちを追い出しましたか?神様に正しい生贄は自分の所から穢れもない傷もない生贄を連れて来て、自分の罪のために神に赦しを求めて、祭祀を捧げること、自分の全てのことを生きた供え物として捧げることです。しかし、楽に現場で動物を買って形式的に犠牲を捧げるようになったことです。その形式的な宗教活動をするようにしたことを強盗の巣にすることと言われました。真の礼拝を捧げないことを霊魂を強盗に取られる意味です。毎日、毎瞬間、自分の全てを神にささげて、礼拝をしないと、いつ自分は変わって、角がある牛だけを形式的に捧げる礼拝に変わって、霊魂の強盗に取られるかし習いです。どれほど、私たちは出せに流される人生に落ちやすいですか?
ダビデは主の御心をもっていました。その心を持って悪人を裁かれて下さることをお祈りします。これから真の賛美が出ます。主の御心をもって、自分の全てのことを捧げて、主に喜ばれる礼拝を捧げますようにお祈りします。
【教会通信】
・兄弟姉妹たちがいつも御霊の導きに従う人生を過ごせますように、このために、いつも主の御臨在の中で留まることができますように、また、主の恵みよって主の部屋に入って主に深く会うことができますように。
・主の日が近づいているのを見て、目を覚まして御霊の油を準備する賢い乙女の心を持って生きることが出来ますように、また、キリストと共に死んで、共に生きる人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちに主の御心が注がれ自分の全てのことを捧げて、苦しみの中でも賛美と感謝をもって主に喜ばれる礼拝を捧げますように。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し、福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。