山上の垂訓の八の祝福(4)
2019. 5. 12.
白寅天
n マタイ 5:7
7 あわれみ深い者は幸いです.その人はあわれみを受けるからです.
---
今日の御言葉は、哀れみについて考えます。「あわれみ深い者は幸いです.その人はあわれみを受けるからです.」と言うのは単純にお金がなく、食べ物が無い人々に哀れみを見せるべきことの意味ではなく、神の哀れみを経験した人、即ち生まれ変わった人は、哀れみ深い者となります。それで自分の中で神の哀れみを経験してその哀れみを持つ人生が過ごせるようになることを見たら喜びなさい(μακάριος[Makarios])と言う意味です。はじめ貧しい心をもっている人が、自分の罪を悟り悲しんで神の励むを経験し、その人が主の柔和を持て柔和な人生を過ごし、自分の義を求めず、主の国と義を求めるようになるなら、主の哀れみを経験する人生を過ごせるようになることです。
今日の御言葉で、哀れみとはἐλεήμων[eleémón]で merciful, full of pity, compassionateの意味です。可哀そう、愛おしい、同情の意味があります。聖書で、ἐλεήμων[eleémón]で検索すると同じ単語を使う聖句がヘブル 2:17です。
「そういうわけで,神のことについて,あわれみ深い,忠実な大祭司となるため,主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした.それは民の罪のために,なだめがなされるためなのです.」(ヘブル 2:17)
哀れみは同情から来ます。相手と同じく経験してその苦しみや痛みを十分理解することから来ることです。私たちが相手の真の必要を満たすためには、相手の心を十分共感しなければならないです。主がわれらに苦しみを与える理由もそこにあります(IIコリント1:4)。哀れみは、神様が自分をどういう哀れんで下ったのかを経験した人が神の哀れみをもって人々を哀れむことです。この哀れみを持つ人は次の人生を過ごします。
1. 神の哀れみ深さはどれほど大きいのかをよく経験し、理解します(詩篇85:10, 86:15、エペソ2:4,エレミヤ哀歌 3:22,23)
2. 自分に対する人々の罪や負い目を赦して、神の赦しを経験します(マタイ 6:12)。自分がその赦しを経験したからです。
3. 神の哀れみをもって生き、哀れみが無い裁きから離れます(ヤコブ2:13)。
自分の人生で主の哀れみを深く悟り、それをもって生けますようにお祈りします。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、目を覚まして御霊の油を準備する賢い娘の人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、主が自分の真の主人となって生けますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、自分の人生で主の哀れみを深く経験し、その哀れみをもって生きることが出来ますように。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。