主の本心
2017. 4. 16.
白寅天
n 哀歌 3:26-33
主の救いを默って待つのは良い.人が,若い時に,くびきを負うのは良い.それを 負わされたなら,ひとり默ってすわっているがよい.口をちりにつけよ.もしや希望があるかもしれない.自分を打つ者に頰を与え,十分そしりを受けよ.主は,いつまでも見放してはおられない.たとい惱みを受けても,主は,その豊かな惠みによって,あわれんでくださる.主は人の子らを,ただ苦しめ惱まそうとは,思っておられない.
-----
最近、少し長い時間の間、心に空しい感じで、すごしました。たぶん、その理由が最近何か月の間有った一連の事件からショックを受けたからだと思います。韓半島が戦争に行くのか、ほかには南韓が北朝鮮の下に行くのかの激しい変化が予測されるからだと思います。
エレミヤの哀歌は、バビロンの3回の攻撃によって完全に滅びたユダとエルサレムを見ながら話した哀歌です。激しい状態で神の善は何処にあるのか疑問がある時、彼は主の本心をわかるようになります。主の真の心は豊かな恵みによって憐れんでくださることです。これは預言者ハバククも怒りの中でも主の哀れみを忘れないようにお祈りしました(ハバクク 3:2)。
予言者ハバククやエレミヤは同じ世代を過ごした人物です。宗教改革によってその時代一番善王として認められたヨシア王がエジプトの戦争で死んで、急にユダの国運が落ちる時でした。善王は死んで、次の王はエジプトによってむりやりに廃位されて、世界の王国アシリアが滅び、新バビロンが登場する、国の情勢が急に変わる時、神からユダの罪と滅びを聞いた預言者たちには激しいショックが来たと思います。エレミヤはヨシア王が死んだ時にも、エルサレムが滅んだ時にも哀歌を書きました。実際に、この哀歌は神様の悲しみの御心です。
国と民族の滅びの悲しみの中で、エレミヤが悟ったことは、今会っている災いそのままが神の本心ではなく、哀れみがそれであることでした。それで人が若い時に、くびきを負うことがよい、主がそれを与えて下さったことを認定し、静かにそれをすわっているのがよいとお勧めします。今のくびきを通して、主の憐れみを受けることが出来るからです。
主の哀れみは、切の心をもって主に来て祈りし、主をすべての心をもって求める時、主が会って下さることです。これは真の悔い改めをすることの意味です。心に自分の偶像を造って、それに従う罪を悔い改めするべきです。その偶像は目に見えるものではなく、自分の義である可能性もあります。十字架の下で主に会う人生を過ごせますようにお祈りします。
【教会通信】
・兄弟姉妹たちがいつも御霊の導きに従う人生を過ごせますように、このために、いつも主の御臨在の中で留まることができますように、また、主の恵みよって主の部屋に入って主に深く会うことができますように。
・主の日が近づいているのを見て、目を覚まして御霊の油を準備する賢い乙女の心を持って生きることが出来ますように、また、キリストと共に死んで、共に生きる人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、自分の偶像を打ち砕き、いつも主の十字架の下に主と深く会う人生を過ごせますように。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し、福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。