福音の本質によって生きる人生
2022. 3. 13.
白寅天
n マタイ 6:31-33, ルカ 21:4
31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
21:4 みなは、あり余る中から献金を投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、持っていた生活費の全部を投げ入れたからです。」
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先週の説教で、本末転倒されない人生は、まず、神の国とその義とを求めること言いました。それで、衣食住を心配なく、主の国を求めることでした。ここで衣食住は、人の一番必修的なことであり、優先が高いことの意味です。これより主を第一にする人生を過ごすことを主は言われます。これを一番合う例として見せることが二レプタを献金した貧しい寡のことです(ルカ 21:3-4)。聖書では、この優先順位は、どんな状況でも、そのいる場所でも、主に優先を置いて生きることを言われます。パウロ(ピリピ 3:8)、バルナバ(使徒 4:37)、アブラハム(創世記 22:12)は衣食住の問題ではなくても、自分のいる場所で主を第一に仕えました。これこそ本末転倒から離れる、本質に基づいて生きる人生です。
我らの生きるべき人生を本質は何ですか?それは、主が言われる人生の目的に従って生きることで、すべての心をもって神を愛することと隣人を自分のように愛することです(マタイ 22:36-40, 6:33)。しかし、人間はこの目的を失い罪の中で本末転倒の人生をすごすべきでありました。しかし、神の子羊、キリストの十字架の御業によって、人の人生の本質を回復されるようになりました。キリストと共に死んで蘇られたひとは、御霊様の助けによってこの本質の人生を過ごせる力を受けました。御霊様に従ってキリストが真に主人となる人生が我らの人生の本質です。しかし、人は罪の肉の属性の中で生きるので、この本質の人生からよく離れます。偶像を求めること、偽善者の人生を過ごすこと、二心をもって生きることがそれです。それで、いつも恐れおののいて自分の救いを達成するべきです。目を覚まして祈り人生を過ごすべきです。御霊様によってこの福音の本質に基づく人生が過ごせますようにお祈りします。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、主が清くあられるように自分を清くする人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、御霊様の実を豊かに結ぶ人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、いつも目を覚まして御霊様による福音の本質の人生、主が一番大事になる人生を過ごせますように。