全燒の生贄の香りであるキリスト
2016. 5. 22.
白寅天
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n レビ記 1:8-9
8 祭司であるアロンの子らは,その切り分けた部分と,頭と,脂肪とを祭壇の上にある火の上のたきぎの上に整えなさい.
9 内臓と足は,その人が水で洗わなければならない.祭司はこれら全部を祭壇の上で全燒の生贄として燒いて煙にする.これは,主へのなだめのかおりの火によるささげ物である.
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個人聖書勉強で、レビ記をしています。先週、主が教えられたことを分かち合いたいと思います。まず、済州島である列邦(万邦)大学のリジウン牧師の犠牲の祭祀の実習について説明します。これはレビ記1章の内容です。会見の天幕で犠牲を捧げる過程は次のようです。
1.傷が無い牛や羊を天幕に連れて来ます。
2.その生贄の頭の上に手を置きます (本人が)。 罪の転嫁の意味。
3.その生贄を屠ります (本人が)。血を祭壇の周りに注ぎかける(アロンの祭祀たち)。
4.皮をはぎ取ります(本人が)。
5.部分に切り分けます(本人が)。
6.それを全部火に燃えます(祭祀が)。
これは、燔祭と言われ、犠牲物が神に上がって行くことの意味で、一番基本的であり、中心的な祭祀です。犠牲を捧げる者が自分の全てを燃えて捧げる、完全の献身を意味します。また、ご自分の命さえ全部捧げたキリストの十字架の上の完全な犠牲を意味することです。
9節のなだめの香り(sweet savour, aroma pleasing)は主がその生贄を焼く煙を好きの意味ではありません。実際に、神様は動物の犠牲をお喜びにはなりません(詩篇40:6)。主は悪人が死ぬこともお喜びにはなりません(エゼキエル書 18:23)。彼が死んでなく、悔い改めて正しい道に帰ることを望んでおられます。主が犠牲の煙を喜ぶことは罪が死んで、罪が裂けて無くなるからです。神様が喜ぶことはキリストの贖いの犠牲とキリストによる我らの完全な献身を喜びします。キリストは子羊となって、我らの罪が転嫁されて、神からの呪いを受けて死なれました。神様はご自分の御子が子羊となって体が割かれて、屠られことを許したことは、我らを愛したからです。この愛を御霊様によっていつも記憶して生けますようにお祈りします。
【教会通信】
・兄弟姉妹たちがいつも御霊の導きに従う人生を過ごせますように、このために、いつも主の御臨在の中で留まることができますように、また、主の恵みよって主の部屋に入って主に深く会うことができますように。
・主の日が近づいているのを見て、目を覚まして御霊の油を準備する賢い乙女の心を持って生きることが出来ますように、また、キリストと共に死んで、キリストと共に生きる人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちがご自分の御子をさえ惜しまずに我らの罪のための生贄として与えて下さった愛をいつも覚えて生けますように。
・来週は総会があります。良い時間になりますようにお祈りして下さい。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し、福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。