#367(2017-8-27)

真の御言葉とお祈り

2017. 8. 27.

白寅天

n ヨハネ 15:5-8

5 わたしはぶどうの木で,あなたがたは枝です.人がわたしにとどまり,わたしもその人の中にとどまっているなら,そういう人は多くの実を結びます.わたしを離れては,あなたがたは何もすることができないからです.

6 だれでも,もしわたしにとどまっていなければ,枝のように投げ捨てられて,枯れます.人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので,それは燃えてしまいます.

7 あなたがたがわたしにとどまり,わたしのことばがあなたがたにとどまるなら,何でもあなたがたのほしいものを 求めなさい.そうすれば,あなたがたのためにそれがかなえられます.

8 あなたがたが多くの実を結び,わたしの弟子となることによって,わたしの父は栄光をお受けになるのです。

-----

ジョン・マガダ牧師に、あるカトリック信者が聞きました。「カトリック信者が、またほかの宗教を信じる人々が、真面目に善を行って生きても、イエスを信じないから地獄に行きますか?」牧師は答えました。「カトリック信者が頑張ってロザリオのお祈りを知っても、イエスを信じないと地獄に行きます。」

これは私たちが良く知っている真理であり、教理だと思います。しかし、我らにはお祈りを頑張ってすることで問題が無いと思う傾向があることを注意しなければならないです。私たちは御言葉とお祈りが我らの霊性で大事だと分かっています。それで、それに力を入れて生きるようにします。しかし、問題は御言葉読んでとお祈りをする人々の中でそれにふさわしい実が結ばないことです。それで、ある牧師は、「御言葉を読まなく、お祈りをするな」と激しく言います。御言葉を読み、お祈りをしても、そこで真に主にあうことが出来ないなら、それがもっと危なくなる可能性が高いです。

今日の御言葉、ヨハネ15章では、イエスは葡萄の木、我らは枝で、枝が木に繋がって実を結ぶように、我らがキリストに繋がって実を結ぶことを言われます。実を結ぶ人生は結ばなくても良い選択ではなく、必ず結ぶべきことです(6節)。7節では御言葉とお祈りが何かをはっきり言われます。御言葉は我らの中で留まって、主に願う時、実を結ぶようにされる約束です。この実は御霊様の実です。我らが真に主にお願いすると主が許して下さいます(ルカ11:13)。御言葉を読み、お祈りをしても、主に会わないと実を結ぶことが出来ません。ただ自分が生きて呪いの悪の実を結びます。主に真に願って、真の御言葉とお祈りを通して、主に会い、御霊様の実を結びますようにお祈りします。

【教会通信】

・兄弟姉妹たちがいつも御霊の導きに従う人生を過ごせますように、このために、いつも主の御臨在の中で留まることができますように、また、主の恵みよって主の部屋に入って主に深く会うことができますように。

・主の日が近づいているのを見て、目を覚まして御霊の油を準備する賢い乙女の心を持って生きることが出来ますように、また、キリストと共に死んで、共に生きる人生を過ごせますように。

・兄弟姉妹たちが、真の御言葉とお祈りを通して主に会い御霊様の実を結びますように。

お祈り下さい

・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。

・主の愛に励まされ、隣人を愛し、福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。

・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。