#310 (2016-7-10)

イエスの命が示される人生

2016. 7. 10.

白寅天

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n IIコリント 4:10-11

10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスの命が私たちの身において明らかに示されるためです。

11 私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスの命が私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。

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先週はアメリカであるサービスコンピューティング学会に参加しました。この学会がコンピュータに関連していますけど、聖書的な名前になっていて、好感を持っています。サービスは仕えることです。今日の御言葉、IIコリント4章では、使徒パウロとキリスト、また聖徒たちとの関係を言っています。

「私たちは自分自身を述べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを述べ伝えます。私たち自身は、イエスのためにあなたがたに仕える僕なのです。(IIコリント4:5)」主なるキリストの光に照らされた、土の器のような自分に宝であるキリストを持つことを告白しています。それは自分には力が無く、神に力があることを知るためでした。

使徒パウロは自分たちが述べ伝えることが、主なキリストと自分がイエスのために教会の人々のために僕であることでした。肉の中にいるので、仕えられることを望む私たちは仕えることになると、それは本当に奇跡です。しかし、その仕えが自分の義になることがどれほど易いですか!あるときには仕えるために自分を力入れて否認したり、自分の決心や力によってするように頑張ることがどれほどしやすいですか!それで、仕えるなら、私がしたという自分の満足に落ちやすいです。仕えることが自分の義の業になると、それは逆に呪いです。

使徒パウロは色んな苦労、迫害、倒されることなどを受けても、落胆してなかったです。それは、いつもイエスの死を自分の身に帯びたからです。イエスの死を自分に持つときイエスの命が明らかに示されました。「イエスのために絶えず死に渡されていますが」と言われています。真の仕えや真の愛は私たちがイエスの死を自分の身に持ち、死に渡される時だけ、可能です。御霊様によってイエスの命の力がそれを行うようにされるからです。今日も、いつも、イエスのために死に渡されて、その命が自分に示される人生を過ごせますようにお祈りします。

【教会通信】

・兄弟姉妹たちがいつも御霊の導きに従う人生を過ごせますように、このために、いつも主の御臨在の中で留まることができますように、また、主の恵みよって主の部屋に入って主に深く会うことができますように。

・主の日が近づいているのを見て、目を覚まして御霊の油を準備する賢い乙女の心を持って生きることが出来ますように、また、キリストと共に死んで、共に生きる人生を過ごせますように。

・兄弟姉妹たちが、御霊様の助けによって、いつも、主のためにイエスの死に渡されて、またイエスの命が自分に示される人生を過ごせますように。

お祈り下さい

・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。

・主の愛に励まされ、隣人を愛し、福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。

・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。