自分を捨てる人生
2015. 4. 12.
白寅天
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マタイによる福音書 16章 24-25節
それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。
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今まで、福音の内容、我らの罪のために十字架で死んで蘇られたキリストと共に死んで生きる人生に分かち合いました。十字架の上、私たちの昔の人が死んで罪から解放されました。罪の奴隷で罪だけを犯すべき私が罪を犯さない状態に変わりました。そのようになった我らは、自分を否認して十字架の上でキリスト共に死ぬことです。このように死んだ我らの中でキリストが来ておられてキリストが自分の中で生きておられることです。私が死ぬ時、自分の死を経験したとき、キリストが私の中で生きてキリストの人生を生きる経験が出来ます。
これを知っていても、キリストが私の中で生きておられる時がどれほど少ないですか?今、キリストは十字架で掛けているけど、私の十字架は何処にいるのか知らない時がどれほど多いですか?これは自分自身が死んでないこと、自分を捨てることが出来ないからです。自分自身を捨てることは主の恵みに基づいて、自分の罪の属性を徹底に認定し、自分の決断、従順、選択や訓練が必要です。自分を十字架で御言葉の釘、従順の釘によって十字架に掛けるべきです。しかし、霊的な訓練が自分を捨てることではなく、もっと自我を強くすることもあるから注意が必要です。
自分を捨てた人は、その中で自分が無いです。その自分は自分が高くなり、自分がもっと持ち、自分がもっと認定を受け、自分が使えられる、自分が判断することです。そのような自分が無くなることは、自分自身とは関係がない人生を過ごすことです。自分が無い人生、すなわち自分が死んだような人生を過ごすこと、これは神で有るキリストがこの世で肉の中で人生であり、キリストがその中で生きる人生です。それが毎日自分の人生で無いと、まず自分に苦痛であり、初めに罪を赦したことを忘れる悲惨な人生になります。毎日自分を捨てる人生で成長しますようにお祈りします。
【教会通信】
・兄弟姉妹たちが真の礼拝者になるために、主が与えられる聖なる人生によって清い衣を着させますように(黙示録 19:7-8)、主の日を待ち望む中で御霊様の力が臨まれ、主との深い交わりと従順ができますように (IIペテロ 3:11-13)、また、主の愛の高さ、深さ、広さを悟りその愛を持って過ごせますように(エペソ 3:16-19)。
・また、主の愛に励まされ、隣人を愛し、福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。また、主の日が近づいているのを見て、もっと熱心に互いに交わりますように(QT Shareとメールでの共有、朝のお祈りに参加して、互いに励むことが出来ますように)。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の恵みによって自分を捨てる人生、自分を主と共に十字架に掛ける人生を続いて過ごせますように。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。また、お祈りの中で、主の愛をもって彼らに福音を伝えることができますように。
・韓国の教会が御霊様の力によって、自分の罪が悟られ、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分が捨てられ、狭い門に入る人生が過ごせますように。