主の日を待ち望む聖なる生き方
2025. 5. 11.
白寅天
IIテモテ 3:1-5
1 しかし、このことは知っておかねばならない。終りの時には、苦難の時代が来る。
2 その時、人々は自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、高慢な者、神をそしる者、親に逆らう者、恩を知らぬ者、神聖を汚す者、
3 無情な者、融和しない者、そしる者、無節制な者、粗暴な者、善を好まない者、
4 裏切り者、乱暴者、高言をする者、神よりも快楽を愛する者、
5 信心深い様子をしながらその実を捨てる者となるであろう。こうした人々を避けなさい。
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本日のメッセージは、「終わりの日には困難な時代が来る」(Ⅱテモテ3:1-5)という警告の言葉から始まり、主の再臨を待ち望む信仰者の聖い生活について語られています。特に「引き上げられる(携挙)」について(Ⅰテサロニケ4:16-17、Ⅰコリント15:51-52、マタイ24:40-43)、誰が「引き上げられる人」であり、誰が「残される人」であるか、その違いは外面的な行いではなく、日々主と共に歩む内面的な敬虔さにあると強調されています。
本当に主に属する者は、日ごとに主との交わりを大切にし、罪と戦い、継続的に従順に歩みます。人の評価ではなく、聖霊によって印を押された者であり、神に認められる者です。聖さは一度の決意ではなく、訓練と繰り返しによって築かれていくものです。そして、敬虔の力は形ではなく、聖霊の働きによって現れます。
また、私たちは罪、古い性質、自己中心、世の価値観、神への反逆、偶像崇拝、形式的な信仰生活から離れる必要があります。それは「何かをやめる」ことに留まらず、神の聖さに似た者とされる積極的な変化の道です。
そのために御霊様の助けによる次のような訓練が求められます:
① 意志的な決断と反復、
② 御言葉への従順、
③ 罪との戦い、
④ 節制された生活、
⑤ 祈りと聖霊への依存、
⑥ 即時かつ全面的な従順。
聖い生き方は感情ではなく、決断によって始まり、聖霊の力によって実現されます。主の再臨に備え、日々主と親しく歩む、区別された、聖なる者として生きていきましょう。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、何時も目を覚まして祈って、主の日に熱心に望みを生き、主が清くあられるように自分を清くする人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、御霊様の実を豊かに結ぶ人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・教会の春のキャンプを祝福して下さった主に感謝し、兄弟姉妹たちが、御霊様の助けによって、切の心を持って、目を覚まし、この世と偶像の罪から離れ、主の清さ持って主の日を待ち望む人生を過ごせますように。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも自分を主と共に十字架でかけて主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。
命の水を与えるイエス・キリスト
2025. 5. 18.
白寅天
ヨハネ 7:37-39
37 祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。
38 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。
39 これは、イエスを信じる人々が受けようとしている御霊をさして言われたのである。すなわち、イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊がまだ下っていなかったのである。
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ヨハネの福音書第7章は、イエスが仮庵の祭りの最後の日に語られた言葉を中心に展開されます。仮庵の祭りは荒野での仮住まいを記念するもので、特に最終日には水を注ぐ儀式が行われ、メシア時代の命の泉を象徴していました。その頂点の時、イエスは「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい」と叫ばれました。これは、ご自身が命の源であり、真のメシアであることを明らかにされた宣言です。
人々はイエスがガリラヤ出身であることからメシアではないと疑いましたが、イエスは「わたしは天の父から来た」と語られ、やがて父のもとへ帰ると預言されました。この出自をめぐる論争とメシア宣言は、「命の水」すなわち聖霊の約束へとつながっていきます。
イエスが語られた「命の水」とは聖霊を指します。聖霊はイエスの死と復活の後、イエスを信じる者たちに与えられ、彼らの内にとどまり、命と真理を注がれる泉となります。これは、聖霊の内在・回復・力・世への命の流れを意味します。
イエスは、すべての霊的な渇きを癒やす方です。存在の意味への虚無感、罪責感、人間関係の欠如、不安と恐れ、真理への渇望など、多様な霊的渇きは聖霊によって満たされます。しかし多くの人は、この渇きを感じることなく、ただ肉的であり、理性的な考えだけで、肉に引っ張られて、世の誘惑に惑わされています。
主は、この肉的、世的な欲望から離れて、そのような渇きを感じる者を恵みによって招かれ、私たちをその導き手として用いようとされます。聖霊に満たされた人生は、自分自身だけでなく、他者にも命を流し出す人生です。主の命の水を豊かに受け取り、渇いた魂を主へと導く歩みをしていきますようにお祈りします。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、何時も目を覚まして祈って、主の日に熱心に望みを生き、主が清くあられるように自分を清くする人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、御霊様の実を豊かに結ぶ人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、主イエスキリストを信じて受けられた命の水である御霊様の中でいつも満たされて、昔の罪から勝利する、御霊の実を豊かに結ぶ人生を過ごせますように。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも自分を主と共に十字架でかけて主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。
相手を罰する前に。。
2025. 5. 25.
白寅天
ヨハネ 8:7-9
7 彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。
8 そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。
9 これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。
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イエス様は仮庵の祭りの最終日に聖殿で「生ける水の言葉」を語られた後、夜にはオリーブ山へ移動され、翌朝再び聖殿に入り教えを施されました。オリーブ山は聖殿から東へ約800~1,000メートル離れ、ゲデロンの谷を挟んだ麓にあります。この場所はイエス様が祈りと黙想の場として選ばれたひそかな隠れ家であり、弟子たちもしばしば同行しました(ルカ21:37/22:39、マタイ26:36、ヨハネ18:1)。
朝の説教の最中、律法学者とパリサイ人たちは現場で姦淫の最中に捕らえられた女を連れて来て、「律法に従い石を投げて処罰せよ」とイエス様を試みました。彼らはモーセの律法を引用しましたが、実際にはイエス様を窮地に追い込む罠でした。イエス様はこの問いに即答されず、身をかがめて地面に何かを書かれました。そして立ち上がって「あなたがたのうちで、罪のない者がまず石を投げなさい」と仰ると、告発者たちは良心の呵責にさいなまれ、年長者から順に一人ずつ去って行きました(ヨ8:6–9)。
女一人が残されると、イエス様は宣言されました。「わたしもあなたを罪に定めない。行って、今後は罪を犯さないようにしなさい」。これは罰を目的とするのではなく、回復を願われるイエス様の憐れみと真理を示しています。この出来事は、自らの義にとらわれた人々の偽善を暴き、真の敬虔の本質を教えています。ルカ6:41–42では「兄弟の目のごみは見て、自分の目の梁は見ないのか」と、他者を裁きながら自己の罪を見逃す偽善を戒められました。パリサイ人は宗教的形式は整えていましたが、内面の罪性には目を閉ざし、他者を責めようとしたのです。イエス様は地面に書かれるしぐさで彼らの偽りの義を指摘し、逆に悔い改めの機会を与えられました。
本日の御言葉で主は、私たちが偽善に陥り、他人の欠点ばかりを見て自らの罪を見過ごすことを戒めておられます。私たちは他者の罪を裁く前に、まず自分自身を省み、常に十字架の前に立って、誘惑に陥り罪を犯さないよう慎み深く生きるべきです。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、何時も目を覚まして祈って、主の日に熱心に望みを生き、主が清くあられるように自分を清くする人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、御霊様の実を豊かに結ぶ人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、相手を判断する自己義の偽善の誘惑から離れて、自分を顧み、自分が誘惑に落ちらないようにいつも慎む人生を過ごせますように。
・礼拝後、2部での教会の総会を御霊様が導いて、良い評価と計画をする時間となりますように。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも自分を主と共に十字架でかけて主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。