すべての人が罪人
2021. 10. 10.
白寅天
n ローマ 3:10-12, 23-24
10 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。
11 悟りのある人はいない、神を求める人はいない。
12 すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行う人はいない。ひとりもいない。」
23 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、
24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
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「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない、神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行う人はいない。ひとりもいない。」この御言葉は、詩篇14篇、53篇のダビデの詩を引用したことです。このローマ書ですべての人が罪人で有ることを言う理由は福音を説明するためけど、その背景では、9節で、自分たちは義と思うユダヤ人に対して、彼らが罪人と思うギリシャ人と同じ罪人であることを言うことです。詩篇53の御言葉です。詩篇53:1-4 で、「愚か者は心の中で、「神はいない」と言っている。彼らは腐っており、忌まわしい不正を行っている。善を行う者はいない。神は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。彼らはみな、そむき去り、だれもかれも腐り果てている。善を行う者はいない。ひとりもいない。」と書いています。
これは悪人に向かってダビデが言ったと見えて、信じると思うものは皆、この悪人は自分と関係が無いと思う傾向があると思います。しかし、この様子はすべての人々から明確に表れる罪の属性です。実際に、イエスを信じて長くなった人も、信仰が成長した人も同じです。パウロはテモテに送る最後の手紙で、「私はその罪人のかしらです。」(Iテモテ 1:15)と言いました。目を覚ましているクリスチャンは、いつも、自分の罪についてもっと敏感に警戒心をもっています。また、罪の属性である自我をはっきり見ます。その自我が行う、罪の深刻性にいつも目を覚ましています。神様は恵みによって我らの救いのために牽引しておられるけど、私たちがこの罪の深刻さを認識して、自我破砕を通して目を覚まして従わないと、失格者となるからです。この罪についていつも警戒心をもって離れますように主の恵みをお祈りします。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、主が清くあられるように自分を清くする人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、御霊様の実を豊かに結ぶ人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、罪に対して警戒心を持ち、自我の否認による御霊様に従って、罪らから離れ、純潔な人生を過ごせますように。