#372(2017-10-1)

霊とまことによって神を礼拝する

2017. 10. 1.

白寅天

n ヨハネ 4:22-24

22 救いはユダヤ人から出るのですから,わたしたちは知って礼拝していますが,あなたがたは知らないで礼拝しています.

23 しかし,真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます.今がその時です.父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです.

24 神は霊ですから,神を礼拝する者は,霊とまことによって礼拝しなければなりません.」

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神に礼拝を捧げることは人の存在の理由であり、いつも、どこでも私たちが礼拝をするべきです。アダムとエバがエデンから追い出されてから、カインとアベルが主の捧げものを捧げたことが礼拝の姿と現します。洪水の後ノアが、アブラハム、イサクとヤコブが、壇を立てて主に礼拝を捧げました。神様はモーセを通して、祭祀の幕屋を立ててそこで主を礼拝し、主に会うようにされました。それから、ソロモンの時代には神殿が立てられてそこで神に礼拝を捧げました。アブラハムがイサクを捧げたその場所がソロモンの神殿の場所です。今日の22章で、あなた方は知らない礼拝をしていると言われたことがその意味があることです。

礼拝は異邦人の庭、イスラエルの庭を過ぎて、全燒のいけにえの祭壇と動物の犠牲、また聖所通して、至聖所まで行って主と会って主に我らの真の心を捧げることです。

礼拝は霊とまことにするべきと言われます。

霊によって礼拝することは、肉だけによってすることではありません。肉だけでは、人の外側、即ち、動物の血、お金、体、自分の理性だけではなく、神様の御霊によることです。霊は我らの中で一番深い所である自分です。霊は理性を超えます。御霊様により頼んで、導かれる礼拝です。

真によって礼拝することは、自分の真の心と真理(Truth)によって礼拝することです。真の心はほかの不純物が無い本当の心、ただ主だけに100%心が向けている心です。真理と言うのは、主が真理(ヨハネ14:6)です。また、真理の御霊(ヨハネ15:26)です。主イエスキリストによって、その義によって神に礼拝を捧げることです。ここから、真の悔い改め、キリストの血によって洗うこと、心からの賛美が出ます。真に神に会うことで有り、その偉大さ、栄光、尊厳、力を賛美することです。いつもこの礼拝、また、会衆の礼拝で神に相応しい礼拝を捧げる我らなりますようにお祈りします。

【教会通信】

・兄弟姉妹たちがいつも御霊の導きに従う人生を過ごせますように、このために、いつも主の御臨在の中で留まることができますように、また、主の恵みよって主の部屋に入って主に深く会うことができますように。

・主の日が近づいているのを見て、目を覚まして御霊の油を準備する賢い乙女の心を持って生きることが出来ますように、また、キリストと共に死んで、共に生きる人生を過ごせますように。

・兄弟姉妹たちが、いつも、どこでも、神に相応しい礼拝を、霊とまことによって捧げますように。

お祈り下さい

・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。

・主の愛に励まされ、隣人を愛し、福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。

・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。