五つのパンと二匹の魚と信仰の訓練
2025. 4. 6.
白寅天
ヨハネ 6:3-7
3 イエスは山に登って、弟子たちと一緒にそこで座につかれた。
4 時に、ユダヤ人の祭である過越が間近になっていた。
5 イエスは目をあげ、大ぜいの群衆が自分の方に集まって来るのを見て、ピリポに言われた、「どこからパンを買ってきて、この人々に食べさせようか」。
6 これはピリポをためそうとして言われたのであって、ご自分ではしようとすることを、よくご承知であった。
7 すると、ピリポはイエスに答えた、「二百デナリのパンがあっても、めいめいが少しずついただくにも足りますまい」
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ヨハネによる福音書6章は、イエス様の三度目の過越の祭りの直前に起こった出来事を記録しています。今回の説教では、1〜21節を中心に、主の奇跡とその意味を黙想します。イエス様はガリラヤ湖、すなわちティベリアの湖の向こう岸へ行かれました。これは単なる場所の移動ではなく、異邦人地域に近い場所での宣教の拡大、弟子たちへの教育、そして奇跡の舞台として重要な意味を持っています。
この時、イエス様は残された一年の公生涯の中で、弟子たちの信仰を訓練しようとされました。この場所で、イエス様は五つのパンと二匹の魚の奇跡を行い、単なる空腹の解決ではなく、信仰の訓練の機会を与えられました。特にピリポに「どこでパンを買ってこの人たちに食べさせようか」と尋ねられたのは、彼がベツサイダ出身でその地域に詳しい弟子だったからです。しかし本当の目的は、彼の信仰を試し、肉の考えではなく信仰によって生きるよう導くためでした。
計算的なピリポの反応とは対照的に、主は超自然的な供給によって信仰の目を開かれました。また、夜の嵐の中、水の上を歩いて来られた出来事は、弟子たちがイエス様の神性を直接体験し、信仰を持って働きを続けるよう訓練するものでした。
これらの奇跡は単なるしるしではなく、イエス様が命のパンであることを示す福音のメッセージなのです。イエス様は「朽ちる食物のためではなく、永遠の命に至る食物のために働きなさい」と言われました。これは、十字架の死と復活を通して永遠の命を与える贖いの福音を指しています。イエス様は弟子たちの信仰を訓練され、今の私たちにも人間的な計算ではなく、主の超自然的な力によって生きることを教えておられます。自分が死に、ただ主が生きておられるとき、私たちは信仰によって主の大いなる力を体験できるのです。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、何時も目を覚まして祈って、主の日に熱心に望みを生き、主が清くあられるように自分を清くする人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、御霊様の実を豊かに結ぶ人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹が、見えるものではなく、見えないけど、御言葉に約束されたことを固く信じ、主の働きを経験する人生を過ごせますように。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも自分を主と共に十字架でかけて主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。
真の食物であるイエス・キリストと復活の希望
2025. 4. 13.
白寅天
ヨハネ 6:53-57
53 イエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。
54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう。
55 わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物である。
56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる。
57 生ける父がわたしをつかわされ、また、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者もわたしによって生きるであろう。
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本日の説教では、ヨハネの福音書6章後半、カペナウムの会堂で語られたイエス様の御言葉から、「真の食物であるイエス様」と「復活の約束」という二つの中心的なテーマを学びました。
イエス様は五つのパンと二匹の魚の奇跡によって群衆に肉体的な糧を与えた後、人々が満腹になったことでご自身を探していることを指摘され、「朽ちる食物」ではなく「永遠に残る食物」のために働きなさいと教えられました。そして、その永遠の食物とは「天から下ってきた生けるパン」であるご自身だと宣言されました。これは、イエス様の肉と血を象徴し、十字架での犠牲によってすべての人にいのちを与えられる方であることを意味しています。
特に、「終わりの日にその人を生かすであろう」という御言葉が39節、40節、44節、54節に四回も繰り返され、イエス様は「復活」の重要性を強調されました。これは、信じる者がこの世の満足を超えて、永遠のいのちと復活に至る救いの完成を目指すべきことを示しています。
また、イエス様は「パン」という日常的かつ不可欠な食物を通して、ご自身が私たちの霊的いのちの本質であることを説明されました。パンが裂かれて人々を生かすように、イエス様も十字架で裂かれ、血を流され、いのちを与えてくださったのです。
朽ちるものではなく、永遠のいのちを与える「いのちのパン」であるイエス・キリストを日々食し、飲む信仰の歩みができますように祈ります。毎日、自分が否認されて、主の中で留まり、主が我らの中で留まりますようにお祈りします。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、何時も目を覚まして祈って、主の日に熱心に望みを生き、主が清くあられるように自分を清くする人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、御霊様の実を豊かに結ぶ人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹が、イエスの命のパン食べ、血を飲み、主の中で留まり、主が我らの中で留まる人生を過ごせますように。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも自分を主と共に十字架でかけて主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。
永遠のいのちの言葉と恵みの通路
2025. 4. 20.
白寅天
ヨハネ 6:65-68
65 そしてイエスは言われた、「それだから、父が与えて下さった者でなければ、わたしに来ることはできないと、言ったのである」。
66 それ以来、多くの弟子たちは去っていって、もはやイエスと行動を共にしなかった。
67 そこでイエスは十二弟子に言われた、「あなたがたも去ろうとするのか」。
68 シモン・ペテロが答えた、「主よ、わたしたちは、だれのところに行きましょう。永遠の命の言をもっているのはあなたです。
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イエス様はご自身の肉と血が永遠のいのちを与えるまことのパンと飲み物であると語られました。それを食べて飲む者は永遠のいのちを得ると言われましたが、多くの弟子たちはその言葉を理解できず、「この言葉は難しい」と言ってイエス様のもとを離れていきました。イエス様は「いのちを与えるのは霊であり、肉は何の役にも立たない」と言い、ご自身の言葉が霊であり、いのちであることを示されました。
彼らがイエス様から離れた理由は、イエス様の言葉が律法的な考えや期待していたメシア像と異なっていたこと、またその霊的な深さを理解できなかったからです。これは、信仰の旅路において理解を超えた真理に直面したとき、私たちがどのような態度をとるかを問うものです。
イエス様はその言葉を詳しく説明されませんでした。それは、聖霊による啓示なしには真理を理解できないということを示しています。私たちは理性だけでなく、聖霊の働きによって御言葉を受け入れる必要があります。
説教ではヨシャファト王の事例が紹介されました。初めは信仰に熱心だった彼も、悪しき者との同盟や霊的な鈍さにより後にユダに悲劇を招きました。これは、信仰深い者にも霊的な識別と目覚めが常に必要であることを示しています。
聖霊の啓きは神の主権的な恵みですが、へりくだり、願い求める心、悔い改め、信仰、全き心での従順の態度は恵みの通路になります。多くの弟子が離れる中で、ペテロは「主よ、永遠のいのちの言葉をお持ちなのはあなたです。私たちは誰のもとに行きましょうか」と告白しました。この告白は聖霊の恵みによるものであり、私たちも日々御言葉と祈りによって主の恵みを慕い求めて歩む者となりましょうにお祈りします。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、何時も目を覚まして祈って、主の日に熱心に望みを生き、主が清くあられるように自分を清くする人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、御霊様の実を豊かに結ぶ人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹が、イエスの命の言葉を受けて悟るように、謙遜、信仰と従順の心を持って主に恵みを求める人生を過ごせますように。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも自分を主と共に十字架でかけて主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。
キリストの十字架を表す人生
2025. 4. 27.
白寅天
ヨハネ 7:1-5
1 そののち、イエスはガリラヤを巡回しておられた。ユダヤ人たちが自分を殺そうとしていたので、ユダヤを巡回しようとはされなかった。
2 時に、ユダヤ人の仮庵の祭が近づいていた。
3 そこで、イエスの兄弟たちがイエスに言った、「あなたがしておられるわざを弟子たちにも見せるために、ここを去りユダヤに行ってはいかがです。
4 自分を公けにあらわそうと思っている人で、隠れて仕事をするものはありません。あなたがこれらのことをするからには、自分をはっきりと世にあらわしなさい」。
5 こう言ったのは、兄弟たちもイエスを信じていなかったからである。
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今日の本文であるヨハネの福音書7章は、イエスが仮庵の祭りに際して密かにエルサレムに上られる場面で始まります。前回の場面以降、主は約6か月間ガリラヤ地方で重要な働きをされました。その間、パリサイ人たちの偽善を非難され、カナン人女性の信仰を認めて彼女の娘を癒されました。また、4千人に食べ物を与える奇跡を通じて主の慈しみと供給を示されました。さらにパリサイ人とサドカイ人のパン種、つまり偽善と不信仰に警戒するよう弟子たちに教えられました。主は弟子たちに対し、自分が苦難を受け、殺され、その後に復活することを何度も予告されました。ペテロは主を「生ける神の子」と告白し、その信仰を示しました。また主は山上で栄光に輝く姿に変貌し、弟子たちに天からの権威を示されました。
これらの出来事の後、主は仮庵の祭りにエルサレムに行くことを決意されましたが、ユダヤ人たちが命を狙っていたため密かに動かれました。この時、イエスの兄弟たちは主に「自分を世に現せ」と要求し、公にユダヤに上り、奇跡を行うよう促しました。しかし兄弟たちのこの要求は主を信じる信仰からではなく、むしろあざけりと不信から来るものでした。世俗的で政治的なメシア像を期待していた彼らは、イエスの真の働きと目的を理解していませんでした。
イエスはこれに対し、「わたしの時はまだ来ていない」と述べて要求を拒否されました。主は世の栄光を求めず、むしろ罪を指摘し、悔い改めを促したため、世は主を憎みました。イエスの関心は、人々に天国の福音を伝え、十字架の死と復活を通して命を与える働きを成し遂げることにありました。私たちも主の模範にならい、世の栄光を追い求めるのではなく、主の十字架と愛をもって世に出て行くべきです。それによってキリストの十字架を表し、これを通して、人々を真の福音へと導き、人生の方向を天の朽ちらないことへ向ける人生を過ごすようにお祈りするべきです。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、何時も目を覚まして祈って、主の日に熱心に望みを生き、主が清くあられるように自分を清くする人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、御霊様の実を豊かに結ぶ人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹が、この世に行って、自分の人生に生まれ変わりの変化与えた十字架を表し、霊魂たちがそこで主に会うようにする人生を過ごせますように。
・5月3日-5日、磐梯山である、教会の春のキャンプで、御霊様の恵みが豊かに満たされて、主の聖なるさと敬虔をもって主の日を待ち望む人生を過ごす良い動機を持つ時間になりますように。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも自分を主と共に十字架でかけて主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。