【メッセージ】『敬虔な人生:親切と善意』 白寅天師
ガラテヤの信徒への手紙 6章 10節
ですから、今、時のある間に、すべての人に対して、特に信仰に
よって家族になった人々に対して、善を行いましょう。
忍耐は不当に対することでの敬虔な対応、柔和は他の人々に対しての変わら
なく見せる敬虔な対応であるなら、親切と善意は他の人々の必要を見つけて満
たす積極的な心です。親切は真に他の人々の幸福のために与える心であり、善
意は与えるための積極的な行いです。慈愛(親切)は隣の人々を理解して彼らに
表す好意です。善意は人々に助けを与える意志的な行いです。
私たちクリスチャンは神様の無限な慈愛に似た者となることが必要です。神
様はすべての人々、神様の恵みを分からない人にも恵みを与えられます。私た
ちが与えている恵みや善行を分かる事のない感謝しない人々にも善を行うこと
が必要です。エフェソ2:10で私たちは「その善い業を行って歩むのです。」と
記録しています。歩むというのは平時の生活、日常的生活で行うことです。ま
た、職場で自分の仕事、才能を通して、日常的なことで善を行うことです。ま
た家庭でする善を意味します(ガラテヤ6:10)。外、職場、教会の活動ではなく
家の中で行う小さい事です。すべての人々に善を行うことです。これは衝動的
ではなく十分心で考えて自分の忍耐と苦労を与える事です。大きい特別な善の
機会ではなく小さい関心や励ましの言葉が普通の善行です。このために主は私
たちを造られました。主の親切と善意を似た者となるために神様の恵みの座の
前行けますようにお祈りします。