#221(2014-10-12)

【メッセージ】『御霊様に従う礼拝』 白寅天師

こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧め

ます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げな

さい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。

ローマの信徒への手紙 12章 1節

▼今まで真の礼拝の大事な要素である、真の悔い改め、主に対する渇望に対して何週間考えまし

た。今日は御霊様に従う、自分を捨てる礼拝に対して考えます。日曜日の礼拝に参加する普通の

人々は、礼拝は日曜日、教会の礼拝の儀式に参加して、会衆の席に座って、前の講壇にいる礼拝の

使役者たちが導く通り、賛美したり、お祈りしたり、説教を聞き祝福を受ける時間だと思う傾向が

あります。これは完全に違うことであり、大きい誤解です。実際には、神様が席に座って、私たち

が捧げる礼拝を受けることです。私たちは賛美、お祈りを捧げ、神様の代わりに御言葉を宣布し、

それを聞くことです。それで、今私たちが捧げる礼拝が真の霊の礼拝になって、神様が受け入れら

る礼拝になっているのかは、ここで体だけで来たのか、真に主に礼拝を捧げ主が喜ばれておられる

のかを決まります。▼この礼拝は実、毎日、毎瞬間が神に喜ばれる聖なる礼拝になるべきです。今

日の御言葉の通り私たちが自分の体全部を生きた供え物として捧げる時、それが真の霊的な礼拝に

なります。自分の全部を主にささげることは、自分を否認して主に従うことです。それは、毎瞬間

我らと共に同行しながら導いて下さる御霊様の声に敏感に従順することです。自分の考え、自分の

希望ではなく主の御心に従うことです。皆さんは自分がしたいことをせず、主が望んでおられるこ

とをしたことがありますか?あればそれが何時ですか?主に全ての心を持って従順することが、支

払いの中で、真の礼拝です。我らの信仰の先輩たちがその人生の例を良く見せて下さいます。真の

礼拝者は自分を軽くして、罪から離れて、主の前で、我らの競争を走る人です(ヘブル12:1)。この

世で、この世の物や偶像に敬拝することから、肉の欲に従って自分を礼拝することから勝利して、

主に真に礼拝を捧げることを学び、後主の日、天国で永久に主に真の礼拝を捧げる人生を学ぶ、神

の救いの目的が皆さんに豊かにかなえられますようにお祈りします。