見ずに信じる信仰
2025. 3. 9.
白寅天
ヨハネ 4:50-53
50 イエスは彼に言われた、「お帰りなさい。あなたのむすこは助かるのだ」。彼は自分に言われたイエスの言葉を信じて帰って行った。
51 その下って行く途中、僕たちが彼に出会い、その子が助かったことを告げた。
52 そこで、彼は僕たちに、そのなおりはじめた時刻を尋ねてみたら、「きのうの午後一時に熱が引きました」と答えた。
53 それは、イエスが「あなたのむすこは助かるのだ」と言われたのと同じ時刻であったことを、この父は知って、彼自身もその家族一同も信じた。
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今日はヨハネの福音書4章の第3部である、カナで王の役人に行われた奇跡について考えます。王の役人は病気の息子のためにイエス様のもとを訪れ、癒しを願いましたが、イエス様はただ一言の言葉で息子を癒されました。役人はその言葉を信じ、家へと帰りました。そして最終的に彼とその家族全員がイエス様を信じるに至りました。
イエス様は「しるしと不思議を見なければ、あなたがたは決して信じない」(ヨハネ 4:48)と指摘されました。人々はしばしば奇跡を見てから信じようとしますが、それは不完全な信仰です。コリント人への手紙 第一 1:22-24 によれば、ユダヤ人はしるしを求め、ギリシャ人は知恵を求めるが、真の信仰は十字架につけられたキリストを受け入れることだと語られています。王の役人も最初はイエス様が直接来なければならないと考えていましたが、最終的にはイエス様の言葉を信じ、家へと向かいました。
王の役人は、最初は癒しの奇跡を求めましたが、イエス様の言葉を聞き、その言葉に従うことで真の信仰へと成長しました。ガリラヤの人々は、彼らはイエス様を知っていましたが、イエス様の生い立ちを知っているという先入観のせいで、真の信仰に至ることができませんでした。百人隊長(マタイ 8:8-10)は、イエス様が直接来る必要はなく、ただお言葉をくださるだけで十分であると信じました。この信仰を見て、イエス様は驚かれました。
イエス様はトマスに「見ないで信じる者は幸いである」(ヨハネ 20:29)と語られました。信仰は理性や観察を超え、神の言葉をそのまま受け入れ、従うことです(コリント第二 5:7, ヘブル 11:1)。ナアマン(列王記下 5:11-12)は、自分の考えを捨てて神の言葉に従い、癒しを受けました。ペテロ(ルカ 5:4-6)は、理性的には魚が獲れないと考えましたが、イエス様の言葉に従い網を下ろしたところ、大量の魚を獲ることができました。
真の信仰とは、神の言葉を論理的に分析することでも、目に見える証拠があることでもなく、証拠がなくても従うことです。理性や奇跡に頼る信仰ではなく、見ずとも神の言葉を信頼する信仰でなければなりません。主の恵みによって、私たちの理性を超えた信仰を持つとき、神を実際に体験することができます。今日も、主の言葉を信じ、従うことで、神を体験する信仰の歩みを続けていきましょうにお祈りします。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、何時も目を覚まして祈って、主の日に熱心に望みを生き、主が清くあられるように自分を清くする人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、御霊様の実を豊かに結ぶ人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹が、神の助けにと自分の服従によって、理性や見ることによらず、ただ信じる信仰によって神が望んでおられる道を歩み、豊かな主の力を経験が出来ますように。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも自分を主と共に十字架でかけて主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。
イエス様の十字架の働きの第一歩
2025. 3. 16.
白寅天
ヨハネ 5:16-18
16 そのためユダヤ人たちは、安息日にこのようなことをしたと言って、イエスを責めた。
17 そこで、イエスは彼らに答えられた、「わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである」。
18 このためにユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうと計るようになった。それは、イエスが安息日を破られたばかりではなく、神を自分の父と呼んで、自分を神と等しいものとされたからである。
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今週の説教は、ヨハネの福音書 5章の初めの部分、イエス様の安息日における癒しとその意味について語ります。
イエス様はベテスダの池で38年間病に苦しんでいた人を癒されました。これはユダヤ人の指導者たちの反発を招きました。彼らは「安息日に病を癒すことは律法に違反する」としてイエス様を迫害し始めました(ヨハ 5:16)。しかし、イエス様は「私の父は今もなお働いておられる。だから、私も働くのだ」(ヨハ 5:17)とおっしゃり、安息日に病を癒すことは、神の御心と一致することであり、ご自身が神と等しい存在であることを宣言されました。ユダヤ人の指導者たちはこの言葉を冒涜とみなし、さらにイエス様を殺そうとしました(ヨハ 5:18)。
しかし、イエス様は安息日の本当の意味と、ご自身が安息日の主であることを教えられました(マル 2:28)。安息日は単なる規則を守る日ではなく、神が与えられた自由と命の日、恵みの日です。イエス様は律法よりも神の愛と命の方が重要であることを強調され、神がなされることを、ご自身も同じように行われると語られました。これはイエス様が神の御子であり、命を与えられるお方であることを示しています。
この出来事は、イエス様の十字架の使命が本格的に始まる重要な最初の契機でした。ユダヤ人の指導者たちの反対と迫害の中でも、イエス様は聖霊の助けによって、神が与えられた使命を最後まで全うされました。今回の御言葉を通して、私たちが律法の形式よりも神の恵みをより深く理解し、イエス様が与えてくださる真の安息を享受する生き方をすることを願います。また、イエス様が魂の救いのために熱心に働かれたように、私たちもその情熱を持ち、主と共に歩み、与えられた魂に仕える者となれるよう切に祈ります。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、何時も目を覚まして祈って、主の日に熱心に望みを生き、主が清くあられるように自分を清くする人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、御霊様の実を豊かに結ぶ人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹が、神の御霊様の助けによって律法でなく恵みによる安息を受けますし、十字架の使役の熱心を持って行われて御心を受けて、主と交わりし、霊魂たちに行けますように。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも自分を主と共に十字架でかけて主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。
イエス様の御子としての権威
2025. 3. 23.
白寅天
ヨハネ 5:26-29
26 それは、父がご自分のうちに生命をお持ちになっていると同様に、子にもまた、自分のうちに生命を持つことをお許しになったからである。
27 そして子は人の子であるから、子にさばきを行う権威をお与えになった。
28 このことを驚くには及ばない。墓の中にいる者たちがみな神の子の声を聞き、
29 善をおこなった人々は、生命を受けるためによみがえり、悪をおこなった人々は、さばきを受けるためによみがえって、それぞれ出てくる時が来るであろう。
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今週の説教は、ヨハネの福音書5:26-29の御言葉を中心に、イエス・キリストの権威と命について語ります。イエス様は神の御子として、命を与える権威と裁きの権威を授かりました。神は御子に命を与え、それによって復活と裁きの主とされました。この権威は、イエス様が「人の子」として与えられたものです。
イエス様は「命のパン」として、私たちに霊的な養いを与えてくださいます。天から下ってきた真の糧であり、肉体の飢えを満たすパンとは異なり、永遠の命を与えられます。イエス様を信じる者は決して飢えることがなく、その中で永遠の命を享受することができます。
また、イエス様は「道であり、真理であり、命」です。闇の世界に光として来られ、命の道を照らしてくださいます。聖霊の働きによって、私たちは真の新生を経験し、その恵みによって救いを受けます。これにより、私たちは神の子として光の中を歩み、永遠の命を持つ者とされます。
復活は、イエス様を信じる者も信じない者にも及びます。信じる者は「命の復活」に至り、不信者は「裁きの復活」に至ります。裁きはキリストが委ねられた権威によるものであり、命の書に名が記された者だけが永生に入ります。
イエス様の十字架と復活は、単なる歴史的出来事ではなく、新生を通じて私たちの人生を変える力です。私たちは命のパンであるイエス様にしっかりとつながり、その恵みの中で光の中を歩むべきです。
イエス様の十字架の死と復活の権威によって、毎日新しい命の中で聖霊の実を豊かに結び、命の主である主にしっかりとつながる証しを表す私たちとなりますようにお祈りします。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、何時も目を覚まして祈って、主の日に熱心に望みを生き、主が清くあられるように自分を清くする人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、御霊様の実を豊かに結ぶ人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹が、イエス様の十字架の死と復活の権威によって、毎日新しい命の中で聖霊の実を豊かに結び、命の主である主にしっかりとつながる証しを表す人生を過ごせますように。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも自分を主と共に十字架でかけて主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。
永生 - 神を愛する
2025. 3. 30.
白寅天
ヨハネ 5:39-42
39 あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。
40 しかも、あなたがたは、命を得るためにわたしのもとにこようともしない。
41 わたしは人からの誉を受けることはしない。
42 しかし、あなたがたのうちには神を愛する愛がないことを知っている。
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今日の説教は、ヨハネの福音書5章全般において、イエス様がご自身を安息日の主であり、神の父が遣わされた御子として、復活と裁きの権威を受けたと語られた箇所です。今日は、その言葉がご自身で言っているのではなく、父がさまざまな証拠を通して語られているとおっしゃいました。特に、旧約聖書でご自身について語っているのにもかかわらず、ユダヤ人たちは永生を得るために聖書を研究しながらも、永生を得るためにご自身のもとに来ないと叱責されました。それは、彼らが人の栄光を求め、神の愛がないためであるとおっしゃいました。
イエス様が神の御子であることを証明するために、三つの証拠を提示されました。第一に、バプテスマのヨハネの証言です。バプテスマのヨハネは、イエス様が神の子羊であり、聖霊によってバプテスマを授ける方であると証しました。彼はメシアの道を準備する者として、神の働きを知らせ、イエス様こそ来るべき方であることを明確に示しました。
第二に、イエス様の奇跡です。イエス様は、盲人の目を開き、病人を癒し、死者を蘇らせるなど、神の力を直接示されました。これらの奇跡は、イエス様が神の御子であり、世界の救い主であることを証明する印でした。
第三に、聖書の証言です。旧約聖書はメシアの到来を予言しており、イエス様がその予言を成就されました。モーセや預言者たちが伝えた言葉の中で、イエス様の神性とメシア性が示されています。しかし、ユダヤ人たちは聖書を研究してもその本質を理解せず、イエス様を受け入れませんでした。
今日においても、私たちは人の栄光を求め、世の誘惑に惑わされて、真の真理を見失う危険があります。真の永生を得るためには、神の愛を中心に据え、イエス様のもとに行く必要があります。私たちの信仰が古い人に従い、人の誉を求めるのではなく、ただ主を仰ぎ見て、神の御心を求める生き方となるよう祈ります。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、何時も目を覚まして祈って、主の日に熱心に望みを生き、主が清くあられるように自分を清くする人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、御霊様の実を豊かに結ぶ人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹が、御言葉に基づく、生まれ変わりの人生、人からの誉を求めず、神の誉を求める人生を過ごし永遠の命に会う人生を過ごせますように。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも自分を主と共に十字架でかけて主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。