目を覚ます-慣れるから離れる
2021. 9. 12.
白寅天
n Iテサロニケ5:2,6
2 主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。6 ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。
n マタイ 25:13
13 だから、目をさましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないからです。
n コロサイ 4:2
2 目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。
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目を覚ますことは我らの霊性でとても大事なことで、救いと聖化で直接な関係があります。聖書で、寝ている状態から目を覚ますことは、二つの意味が書かれているけど、それは、不信から信じで救われることと、霊の眠りから起きることの意味です。
寝ることの特徴は、大切な状況を認識が出来ないことで、それは鈍感になったからです。イエス様は、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに注意することを言われました。これは、鈍感になる、心が重いものによって押されること(overcharged, burdened)の意味です。イエスを信じている人々に、目を覚ましていることは、霊の眠りをつかなうことに対して注意することです。
主は多い所で目を覚ますように言われます。その理由は、
1.救いのために (ダニエル12:2, Iペテロ 1:6-9)
2.主がいつ来られるか知らないから
3.悪魔がいつも食べ尽くすものを探すから (Iペテロ 5:8)
聖書で目を覚ますことは、一番多い所で、主が再び来られる時が知らないから目を覚ますことを言われます。その時を知らない意味は、長く後も、明日も可能ですから、いつも目を覚ましているべきであり、真実なクリスチャンはいつも目を覚まして主と歩みました。霊的な眠りは、慣れることと強い関係があります。この世の生活で慣れるし、宗教活動に慣れることが、寝ることです。これらから離れるためには、良い良心に基づいて確かな信仰によって主に従うことです。御霊様の働きがはっきり見えると目を覚ましていることを確認が出来ます。御霊の導きに従うことで通して主の日を準備しますようにお祈りします。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、主が清くあられるように自分を清くする人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、御霊様の実を豊かに結ぶ人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、敏感な良心に基づく強い信仰の中で、宗教活動に慣れることから離れ、御霊に従う目を覚ます人生を過ごせますように。