自分の内面を見る
2019. 10. 27.
白寅天
n マタイ 25:1-5
そこで,天の御国は,たとえて言えば,それぞれが灯を持って,花婿を出迎える十人の娘のようです.
そのうち五人は愚かで,五人は賢かった.
愚かな娘たちは,灯は持っていたが,油を用意しておかなかった.
賢い娘たちは,自分のともしびといっしょに,入れ物に油を入れて持っていた.
花婿が来るのが遅れたので,みな,うとうとして眠り始めた.
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今年教会の御言葉(マタイ 25:1-13)の油を準備しようと言う御言葉をまた考えます。今日の主題、油を準備する人生のキーワードは、内面の悟り、平時に真に準備することになります。
10人の娘は皆、主の来られることを待ち望みましたが、油を準備出来ない5人の娘には主が知らないと言われました。10人全部、主を待つ、教会に出席する教会人であり、夜、灯に火をつけるためには油が必要であることは常識であることです。
それを準備が出来なかったことは何かを知らなかった意味です。実際にそれは自分自身です。自分自身の内面を知らず、平時に準備が出来なかったことです。私たちは自分自身について良く分かると思いますが、実際によく知らないです。
その例を、簡単に、最近読んだ御言葉で紹介します。ペテロがその一つの例です。彼は決して主を知らないと言わないと思ったし、死んでも主と共に行くと思いましたが、実際に三度呪いながら否認しました。彼は今光を出ている灯がいつでも光を出ると思いました。ダビデがウリヤを殺して彼の妻バテ·シェバを取った後、預言者ナタンを通してそれを例話によって指摘しても、初めは知らないです。直接話したら分かりました。この二人のケースは悔い改めて帰ったから主によって赦されました。 パリサイ人は主が自分の内側を見ると直接言われても、悟らないです。その中で欲望が満たされているからです。人には自分を正しいと思うこと、内面を見て、その悪を見ることが難しいです。これが人間の罪の属性だからです。
油を準備が出来ないことは、自分の内面をよく見ることが出来なく、自分の義と自分の力によって生きるからです。自分が頑張っている外側をよく見える努力だけを見るからです。内側を見る人は真に平時に内側を清くします。これは自分の力であることではなく、主の恵みによって、御霊様の助けによって出来ます。それで、目を覚ましてお祈りするべきです。油を準備する人生を過ごせますようにお祈りします。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、目を覚まして御霊の油を準備する賢い娘の人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、主が自分の真の主人となって生けますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、御霊様の助けによって自分の内側をよく見て清くする人生を過ごせますように目を覚ましてお祈りする人生を過ごせますように。
・伝道会で参加者の心を準備して、福音をよく理解し、受けられますように。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。