喪中の家に向かう心
2016. 11. 06.
白寅天
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n 伝道者の書 7:2-4
2 祝宴の家に行くよりは,喪中の家に行くほうがよい.そこには,すべての人の終わりがあり,生きている者がそれを心に留めるようになるからだ.
3 悲しみは 笑いにまさる.顔の曇にって心は良くなる.
4 知惠ある者の心は喪中の家に向き,愚かな者の心は楽しみの家に向く.
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昔、杞国のある人は天が壊れるか毎日心配しました。それを「杞憂」と言います。もし人がいつも大きい災いや問題が起るか心配するなら、これは非正常であり、その人の精神を検査する必要があると思います。しかし、聖書は人に自分が死ぬ日をいつも考えることをお勧めしています。
4 知惠ある者の心は喪中の家に向き,愚かな者の心は楽しみの家に向く.
誰でも自分は死や災いを会いたくないです。 全然おこる可能性がないことを敏感すぎて心配することは問題ですけど、自分は普通の人生の寿命を全部無事に生きると甘く思うことを聖書は警告しています。
自分の人生で特に問題なく長寿することは人の基本的な願いであるのに、それを求めることが何が間違いがあるのかと思うかもしれません。健康と平安の中で自分の寿命を生きることは神の御心であり祝福です。しかし、神様が無しで、ただ健康と平安の中で生きることは、この世を愛することであり、そこに神の愛がない、呪いです。問題は人は自分の心が神よりこの世に向かって行って、この世を求めていても、それを分からないこと、分かりたい心も無いことです。
自分がこの状態であることをどう認識するのか?それは神の恵みです。いろいろな方法を通して神は教えて下さいます。もっと心が準備された霊魂には自分の人生で自分の死を考えるようにされます。それもしてなく、準備されてない霊魂には、その死を近い時間に会うようにされます。この人たちの中では、今まで自分が間違った道を走って来たこと、大切ではないことを追求して来たことを悟る人がいます。それで、神様に帰る人も良くいます。これは神の素晴らしい恵みです。
それで、神様は聖書を通してわれらに平時何を求めるべきかをよく教えておられます。明日、私がこの世を離れても、後悔ない人生を過ごしているのか、いつも自分に聞くべきです。人の死は私たちにこの世で生きる意味を考えるようにします。それで、まことに大切なことのために、この世では皆が求めますけど、大切ではないことを放すことを選択しながら生きることが聖書の教えです。この祝福を毎日受けますようにお祈りします。
【教会通信】
・兄弟姉妹たちがいつも御霊の導きに従う人生を過ごせますように、このために、いつも主の御臨在の中で留まることができますように、また、主の恵みよって主の部屋に入って主に深く会うことができますように。
・主の日が近づいているのを見て、目を覚まして御霊の油を準備する賢い乙女の心を持って生きることが出来ますように、また、キリストと共に死んで、共に生きる人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、この世を求めることではなく、いつも神の国とその義とを第一に求める人生を過ごせますようい。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し、福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。