自分の権利を投げ出す人生
2016. 2. 7.
白寅天
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n Iコリント 9:18-19
18 では、私にどんな報いがあるのでしょう。それは、福音を宣べ伝えるときに報酬を求めないで与え、福音の働きによって持つ自分の権利を十分に用いないことなのです。
19 私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。
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今まで、私たちは、御霊様の中で主との同行、それのために御言葉とお祈りに深く留まることを強調してきました。われらがどれほどよく主と近く歩んでいるのかの判断はみ言葉とお祈りにどれほど時間を入れるのかよりは、どれほど目に見える兄弟姉妹を愛しているのかだと信じます。目に見えない神を愛すると言うことはどれほど出来ますが、その言葉が事実かは今前で目に見える兄弟姉妹を愛しているかです。聖書は兄弟を愛出来ないうちに神を愛すると言うことは嘘だと言われます。
この愛の出発は自分の権利を投げ出すからだと聖書は言われます。愛である主はその愛のために、神様であるご自分の権利を投げ出して、われらと同じ人間になってこの世に来られました。主の愛の初めはご自分の権利を投げてからで、私たちと同じになったからであって、その人生を続きました。自分の権利を放棄しないと真の愛はできないです。しかし、自分の権利を最大限に利用することは人間の本性です。誰がどうやって自分の権利を十分使わなく人を使えることができますか?
聖書は「あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。」(ピリピ2:5)と言われます。少なくても心を保つようにした人はこれが自分では出来ないことを分かると思います。同じように愛は自分に無いことをわかります。主の御霊様が与えられる時、それで主の愛が注がれる時、その愛が出されることです。愛は忍耐です。(Iコリント13:4)自分がなくなる時、それで主の愛が満たされる時、自分の権利が投げ出して、霊魂を使えることができます。真の主の愛によって愛しないとわれらのすべての業は何も無いです。「また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。」 (Iコリント13:3)。自分の権利を投げ出して使える主の愛をもって生きますようにお祈りします。
【教会通信】
・兄弟姉妹たちがいつも御霊に従ってその導きに導かれ人生を過ごしますように、このために、いつも主の御臨在の中で留まることができますように、主の恵みよって主の部屋に入って主に会うことができますように。
・また、主の日が近づいているのを見て、目を覚まして御霊の油を準備する賢い乙女の心を持って生きることが出来ますように、また、もっと熱心に互いに交わりますように(QT Shareとメールでの共有、朝のお祈りに参加して、互いに励むことが出来ますように)。
・兄弟姉妹たちが、御霊様の助けによって自分の権利を投げ出して使える主の愛をもって生きますように恵みをお祈りしましょう。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し、福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。